部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)

  中区基町の広島城堀・北側緑地帯に建立されている「部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)」です。
ノモンハン事件参加部隊: 歩兵第七十一聯隊   
野砲兵第十三聯隊  
輜重兵第二十三聯隊
昭和五十二(1977)年五月二十二日建之
ノモンハン事件:1939(昭和14)年5月〜9月
満州とモンゴルの国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争事件です。
1939(昭和14)年5月12日モンゴル人民軍(外モンゴル軍)がノモンハンからハルハ川を越えて満洲軍と衝突する事件が勃発付近のハイラルに駐留していた関東軍第23師団が処理要項に従って出撃、外モンゴル軍を退却させたが、ソ連軍がモンゴル側の援軍に駆けつけ、反撃に出た。
日本は関東軍1万5千名などを動員したが、8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受けた日本軍の損害は大きく、全兵力約5万6000人のうち8440人戦死、死傷率は30%を超えた(特に第23師団1万5000人の死傷者は実に1万2000人弱、死傷率は75%を上回り、壊滅した)。8月23日独ソ不可侵条約が締結されたため9月15日モスクワで停戦協定が成立この事件で軍部の対ソ開戦論は後退。
比治山の陸軍墓地は何度も訪ねてはいましたが、そこに建立の碑を丁寧にみることがありませんでしたので、2008年12月訪ねた時に「ノモンハン事件戦歿者慰霊碑」があることを知りました。建立時期を見ると、この記念植樹と同時期であることがわかり、その建立趣意書も読みましたので、別頁に編集しました。
(りくぐん えいじゅ
    びょういん)

陸軍衛戌病院:
平時は第五師団関係兵士の診療、戦時には戦地から戦傷病兵の収容治療並びに衛生兵の教育養成を担いました。
1937(昭和12)年広島陸軍病院となりました。
ノモンハン事件、聞いた事はあったのですがどういう事件だったかはこの碑を訪れるまでは知りませんでした。
碑文もない、歩兵71連隊の跡地に建立された植樹記念碑です。
この碑の周りの状況が分からない頁でしたので、2009年撮影して加え、衛戍病院を調べました。
2016年撮影画像を2019年になりましたが、追加して頁を更新しました。
コロナ禍の2021年久しぶりに撮影していましたので、この頁を更新しました。
22.12.12.更新   03.08.25.裕・記編集

03.07.17.撮影

03.07.17.撮影
広島市中区基町 (広島城堀・北側緑地帯)

03.07.17.撮影

09.02.21.撮影
(北側緑地帯の向側には基町高校の建物がみえます)

16.09.15.撮影
碑裏面:説明プレート(上記)

16.09.15.撮影
正面:部隊跡記念樹

16.09.15.撮影
 

21.12.22.撮影
(手前:軍馬之碑) 向側に部隊跡記念樹碑が建立されています

21.12.22.撮影
 (≒西南西側からみました)

21.12.22.撮影
(後側の建物:広島市立基町高等学校)



軍都・廣島関連施設戦跡など」編


「広島城附近」編



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