(旧・宇品陸軍糧秣支廠)食肉処理場
  南区宇品御幸に過ってあった「(宇品陸軍糧秣支廠)食肉処理場」を取り上げました。
1897(明治30)年3月宇品海岸通りに陸軍中央糧秣廠宇品支廠が創設されました。
1902(明治35)年陸軍糧秣廠宇品支廠と改称。
1904(明治37)年9月15日安芸郡仁保島村の中の字宇品島が広島市に編入されました。
1906(明治39)年宇品御幸通り西側に移転するための用地が確保され、倉庫・糧米所などの建設と合せて1911(明治44)年3月レンガ造の缶詰工場が建設され6月開設しました。
戦後、缶詰工場の(道路を挟んで)北側の食肉処理工場は、広島糧工が借り受けていました。
その後カルビーが引き継いで菓子生産の工場で使っていました。しかし工場移転で倉庫になりましたが、2007(平成19)年解体されました。
    缶詰工場     食肉処理場
竣工時期 1911(明治44)年3月 1911(明治44)年3月
爆心地から ≒3,210m ≒3,040m
構造など 鉄骨レンガ造、 平屋建 鉄骨レンガ造、 平屋建
現住所 南区宇品御幸町2-6-20 南区宇品御幸町1-12-23
1897(明治30)年3月宇品海岸通りに建設された陸軍中央糧秣廠支廠は、1902(明治35)年陸軍糧秣廠宇品支廠、1907(明治40)年宇品陸軍糧秣支廠と改称し、1911(明治44)年3月この地に移転しました。
陸軍糧秣支廠は、全国に9ヶ所設けられていましたが、宇品陸軍糧秣支廠は、牛肉などを処理し缶詰を製造する工場としては全国で唯一のものでした。
(現在の)宇品西公園沿いの道路を挟んだ北側に食肉処理場の建物がありそこで処理された肉は(現在の)宇品西公園の位置にあった缶詰工場で缶詰に加工されていました。
食肉処理場の建物は、越屋根*のある鉄骨小屋組大屋根のレンガ造で、レンガの積み方、開口部の意匠などの特徴は、現在の広島市郷土資料館になった建物で見ることができます。
1945(昭和20)年8月6日に被爆しましたが、躯体には損傷はなく、屋根材や窓枠などが改修され、1949(昭和24)年から2006(平成18)年2月までカルビー広島工場が使用し、2007(平成19)年10月に解体されました。
この説明板後ろは、旧宇品陸軍糧秣支廠食肉処理場の建物のレンガです。
2005年11月交流ウォークの時は、郷土資料館館員の方に説明をしていただき、ここ宇品陸軍糧秣支廠では大きく食肉処理場と缶詰工場に分かれていたこと。牛大和煮の缶詰が主なものであったことを知りました。
現在、食肉処理場はカルビーの倉庫になっていますが、2006年2月廿日市市へ移転しこの建物は閉鎖され解体されることを知り撮影に行ったのです、既に工事用の仮囲いが設置されていました。
2010年12月交流ウォークで訪ねた時には既に解体されていましたが、宇品西公園(この食肉処理場南側に位置する)に小さなモニュメント(建物の一部の煉瓦を切り取った)が新たに設置され説明板が付いていましたので、説明板の解体前の画像とともに、頁を更新しました。
12.05.02更新    07.06.10裕・記編集

06.11.26.撮影
広島市南区宇品御幸1-12  (現:カルビー庇の向こうに煉瓦の(赤い)壁が見えました)

10.12.204 宇品西公園設置の説明板を撮影
こしやね
越し屋根
通風・採光などのために、大棟の上に設けた小さい屋根。
煙だし小屋根ともいい竈(かまど)の煙を出すため越し屋根です。
省エネを追及する現代で見直されている昔からの知恵でもあるのです。
大屋根を沿っている風が、越し屋根を吹き抜けることでこの部分が負圧になり、空気が上に吸い上げられます。すると今度は下の部屋が負圧になるので、下部屋の窓から空気が入ってきます。この繰り返しで下階に風が吹いていなくても空気が動くというわけで、部屋の中を涼しい空気が通りぬけて行くことになります。

06.11.26.撮影
仮囲いが設置されて中がみれなくなりました

06.11.26撮影
外周の基礎石積み、戦前からのもののようでした
糧秣支廠時代の配置図 2015年MapEanの地図
食肉処理場→〔払下〕カルビー工場→(マンション)パークホームズ



被爆した建物・構築物」編



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宇品西公園
旧・宇品陸軍糧秣支廠
  (糧秣支廠)被爆した鉄骨
旧・宇品陸軍糧秣支廠(食肉処理場)
  カルビー(株)発祥の地・碑
宇品御幸第二公園
旧・広島陸軍被服支廠
旧・広島陸軍兵器支廠


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