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中区八丁堀の広島第一ビル(旧・第一勧業銀行※)前に建立されている「福屋百貨店・原爆被災説明板」です。
*原爆被災説明板は、福屋百貨店の電車通りを越えた斜め前の位置に建立されています。 |
※2002年第一勧業銀行+日本興業銀行+富士銀行が統合「みずほ銀行」になり、紙屋町の興銀ビルに移転しています。 |
福屋百貨店・原爆被災説明板
爆心地から約710m
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鉄骨鉄筋コンクリート造地上8階、地下2階建ての建物は、原爆の炸裂による強烈な爆風と震動を受け、すべての施設、器具類が吹き飛ばされました。
また、全館が炎の海と化し、建物の中にいた多くの人が亡くなり、建物は骨組みと外郭だけを残すだけになりました。 |
被災した福屋百貨店 1945(昭和20)年9月 川本俊雄氏撮影 |
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SRC造であった事から被爆倒壊はしなかったが、写真を見るとわかるように窓は吹き飛び内部は全焼したそうです、各階で仕事についていた方々の記録が無く何人の方々が死傷されたかわからないそうです。 |
爆心地から≒710m (被爆当時町名も胡町) |
「おじさんの原爆記No9-2」を読んで被爆後2・3階が山口陸軍病院として機能した事を知り、また電車道を渡った西側・みずほ銀行の前に原爆被災説明板がある事を今回関係資料を調べて知りました。
そんな歴史を刻んだ福屋は、1951(昭和26)年第一次改修で被爆前の賑やかさを取戻しています、市内電車白島線は現在の通りから一筋西側(牛田行きバスが通る道)の通りを通っていた事も今(2003年)回調べて行くうちに知りました。 |
2020年コロナ禍の中通称・平和記念式典は参加者を限定して催されたその日、参列は出来ないので久しぶりにここ福屋百貨店原爆被災説明板を撮影しました。
まだ、コロナ禍の終息には至っていない2021年になりましたがこの頁を更新しました。 |
21.07.03.更新 03.08.02裕・記編集 |