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中区東千田町に(現在利用もされず)残されている「広島大学旧理学部1号館」です。
※もともとは広島文理科大学の校舎でした。 |
1945(昭和20)年6月10日米軍の攻撃で本土が分断された時、独自の判断で対応できる「中国地方総監府※」が、広島文理科大学本館の3階の一部と2階の大部分に置かれていた事(また、呉海軍研究部や特設警備工兵隊が構内の一部を接収し、兵舎などに使用していた事)も騎兵第五連隊跡・碑(第二総軍跡)を調べているときに知ったのです。 |
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勅令350号・地方総監府官制で全国8地区に設置された。
北海地方総監府(札幌市)、東北地方総監府(仙台市)、関東信越地方総監府(東京都)、東海北陸地方総監府(名古屋市)、近畿地方総監府(大阪市)、中国地方総監府(広島市)、四国地方総監府(高松市)、九州地方総監府
(福岡市) |
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開設1945(昭和20)年6月10日
中国地方総監府総監:大塚惟精(前広島県知事) 副総監:服部直彰(前陸軍司政長官) |
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爆心地から≒1,420m 被爆当時町名も東千田町 |
廣島文理科大學の在籍者は教職員333人、学生380人と記録されており、学生数が少ないのは、多くが学徒出征兵士として招集されていたからだそうです。
建物はRC(鉄筋コンクリート)造3階建て延べ面積約8300uで1931(昭和6)年6月竣工だそうです。 |
広島文理科大学の略沿革
1902(明治35) 年4月1日 |
広島高等師範学校(広島市国泰寺村)を設置。 |
1929(昭和4) 年4月1日 |
官立文理科大学官制(勅令第37号)が公布。
(東の東京文理科大学に対して西は広島に)広島文理科大学(広島市千田町)を設置。広島高等師範学校は広島文理科大学に附置。
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1949(昭和24) 年5月31日 |
国立学校設置法(昭和24年法律第150号)により、広島大学に他校などと一緒に包括される。 |
1962(昭和37) 年3月31日 |
広島大学広島文理科大学廃止 |
1995(平成7) 年3月31日 |
広島大学(東広島市西条町に法学部、経済学部の一部を残し)移転が終了 |
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今は東千田公園になっている処は、元広島大学東千田町キャンパスであったこと知っていましたが、広島文理科大学や広島高等師範学校・同附属中学校と国民学校があったということは調べて行くいうちに知ったのです。
被爆した建物ということで撮影しこの頁を編集しました。 |
07.08.27.更新 03.09.13裕・記編集 |