(広島流川教会)被爆した定礎板など

  中区上幟町の広島流川教会に取り付けられている「(旧教会の)被爆した定礎板」です。
※2)2013年新しい教会に建替えられていますのでその「(現在の)定礎板」もこの頁で取り上げています。
※3)また、礼拝所前室壁に掛けられていた広島流川教会創始者「砂本貞吉レリーフ」も取り上げました。
※1) -被爆した(旧)広島流川教会定礎板- (定礎板:横≒60cm、縦≒40㎝)
1927(昭和2)年2月26日「日本メソジスト広島中央教会」定礎式
1928(昭和3)年1月15日15日献堂式
1941(昭和16)年6月24日「日本基督教団広島流川教会」と改称。∵1939年宗教団体法公布により
1945(昭和20)年8月6日被爆、教会(一部壁が残っ他だけの)壊滅的被害を受けました。
1971(昭和46)年1月10日現在地・上幟町に移転(前)教会献堂式。(被爆定礎板はずされ保管)
2013(平成25)年(現)教会に建替えられました。
2017(平成29)年(現)教会定礎板の根際に「被爆した定礎板」が設置されました。
(新しい)現在の教会でも“被爆した旧会堂写真”が展示されているだろうから何処だろうと気にしていました。入ろうとする玄関壁に展示されおり、その下に現在の定礎板があり、その隣にステンレス枠で保護されているのがここで取り上げた被爆した定礎板でした。
五つのクラックがあり(板も割れているようで)、表面下部に剥離があることから原爆被害をもろに受けたのではないかと思いました。
※2) -(現)広島流川教会定礎板-
「A.D.2013」と刻まれた定礎板で、その下に(新約聖書の)“エペソ人への手紙2章22節”が刻まれています。
『それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者ともにひとつの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。』(17節~22節)を紐解いてみました。
刻まれた文章が聖書の一節だろうとは思いましたが、その場ではわからず帰宅後Ephから検索し、使徒パウロがエペソ人へ出した手紙の一節という事がわかりました。
ただ、22節だけではよくわからなかったのでその前から読んでみました。
※3) -教会創始者:砂本貞吉レリーフ-
砂本貞吉(1856-1938)は、1856(安政3)年己斐(村)に生まれる。
18歳で航海士を志し、海軍に入隊した。航海術の向上を求めて渡英を計画したが、26歳の時渡米しサンフランシスコで牧師ギブソン夫人に出会い、この地で神学と英語を学び、30歳で帰国。
以後キリスト教の布教に尽力し、流川教会の基を築く。
また他方、子女の英語教育に努め、1896(明治19)年広島女学会を創設。翌(1897)年英和女学校。1896(明治29)年広島女学校とし、1932(昭和7)年広島女学院と名を変え、現在に至っている。
全国を布教し、1938(昭和13)年東京で病没。
わたしは、広島女学院創設者・砂本貞吉を知り、交流ウォークで西区己斐の蛇抜(墓地)に建立されている「砂本貞吉の墓」を訪ね頁を編集していましたが、その人物像は知らなかったのです。
ここ広島流川教会でそのレリーフを拝見し、こういう方だったのだと撮影しました。
  関連頁:砂本貞吉の墓
2003年に流川教会の頁を編集していましたが、ここで取り上げた被爆した定礎などを拝見することもなかったのです。
今(2018年)回は、教会礼拝所(チャペル)に掛けられていると聞く被爆した十字架を拝見するという主目標がありましたが、“被爆した旧会堂写真”が展示されているだろうから何処だろうと気にしていました。
玄関壁にその写真は展示されており、その下にここで取り上げた被爆した定礎板、今回の定礎板、礼拝所前室でみた砂本貞吉レリーフをこの頁で取り上げました。
18.07.24.裕・記編集

18.05.16.撮影
広島市中区上幟町8-33  広島流川教会玄関壁 

18.05.16.撮影
被爆した(旧)広島流川教会の定礎板(1927~1971)

18.05.16.撮影
「A.D. 1927   昭和二年」   A.D.=ラテン語anno Domini(主の年に、の意味)西暦紀元
(現)広島流川教会定礎板

18.05.16.撮影
A.D.2013(=平成25年)
(広島流川教会)教会創始者:砂本貞吉レリーフ

18.05.16.撮影
礼拝堂前の前室でみた 教会創始者:砂本貞吉レリーフ

18.05.16.撮影
砂本貞吉(1856~1938)



「被爆した建物・構築物」編



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(前)広島流川教会
(現)広島流川教会
  被爆した木で造った十字架
  被爆した旧教会定礎板など


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