|
南区比治山公園に建立されている「馬魂碑」です。
※碑文・碑は、戦後に建立されたようで、戦線に駆り出され死んでいった軍馬への鎮魂の言葉はなく 「馬魂碑を再生し深く感謝の意をあらわした」で結んでいます。 |
碑文 昭和43(昭和43)年5月1日 広島県獣医師会 |
馬は古代から人類に飼養せられて交通・運搬・農耕などに重要な役割をはやし今日の文明に幾多の貢献をしてきました。
その恩恵はまことにはかり知れないものがあります。
しかしながら20世紀の半ばから機会科学が
飛躍的に進歩発展するのにともなって、馬の利用は急に少なくなり、馬族は世の中からだんだん忘れ去られようとしております。
このときにおいて広島県獣医師会はこの馬族の功績をたたえその犠牲をしのび永くこれを記念するために馬魂碑を再生し深く感謝の意をあらわしたのであります。 |
|
 |
|
交流ウォークに参加させていただき少しばかりわかってきました。
この馬魂碑は、似島に建立されていたものだそうです。
戦後この地に移設されたということを教えていただき、碑面をよくみると潰された文字が読み取れ‘陸軍中将’とありました。 |
※ |
似島には出征兵士の検疫所があり、兵士と一緒に帰ってきた軍用馬に病原菌を持ち帰っていないかを検査する馬匹(ばひつ)検疫所もあったそうです。
|
|
碑題揮毫者が、松田巻平で(南区)宇品にあった運輸部・部長であったことからもこの馬魂碑との関りがわかります。 |
|
比治山公園にある殉職警察職員之碑、殉職消防組員之碑を訪ねた2001年暮れに陸軍墓地の近くに建立されている事を知ったのですが、建立された昭和12(1937)年はおりしも「第五師団・歩兵第十一連隊・歩兵第四一連隊」宇品港出発(7月22日出動)した年で軍都廣島との関わりがあるのかもと陸軍墓地を撮影に行った時に立ち寄り撮影しました。
今のところ碑文の裏に隠された意味はわたしには解かりません。 |
2015年久しぶりに陸軍墓地に行ってみましたので、その近くの小公園に建立のこの碑も撮影しましたので、2018年になりましたがこの頁再編集しました。 |
18.05.15.更新 04.01.10 裕・記編集 |