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中区基町に日清戦争(1894-1895)に伴って広島に大本営が置かれた際に使用された
明治天皇(1852-1912)の「御用井の跡」です。
※この碑は、1932(昭和7)年(野砲兵第五聯隊関係者が)建立ですので、被爆した旧跡でもあります。 |
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聖蹟(せいせき)≒天皇行幸の地や旧都趾など。天子に関係ある史跡。 |
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爆心地から約610m 被爆当時町名も基町でした |
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大本営が広島に設置された1894(明治29)年9月その当時広島には上水道設備は無かった(明治32年給水開始)のです。
当時広島市民の多くは川水や井戸水を飲んでいた時代で、天皇の御用水は己斐村の庄屋の井戸から輜重(しちょう)隊の馬車で運んでいましたが、その後ここ基町に御用水の井戸が掘られたそうです。 |
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被爆関連の資料を見ているときにこの「聖蹟:明治天皇御用水井戸跡」を知ったのです。
2003年撮影してこの頁を編集しました。 |
井戸跡の回りの状況がわかるようにと2011年撮影しました。 |
2013年になって‘明治天皇聖蹟整備期成仝盟’の方からこの聖蹟周りの竹の囲いを取り替えたとメールをいただきましたので撮影していました。撮影画像を整理している2017年のいまになりましたがこの頁を更新しました。 |
17.04.08.更新 03.08.27裕編集 |