広島大本営跡

  中区基町の広島城跡の中に残されている「広島大本営跡」です。 
1894(明治27年)8月1日に日清両国に戦端が開かれました(宣戦布告)。
それまでに山陽鉄道(※現在のJR山陽本線)が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、
1894(明治27)年9月8日広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所(あんざいしょ)とされ、大本営が設置されました。
明治天皇の広島滞在は1894(明治27)年9月15日から1895(明治28)年4月27日までの7ヶ月に及びました。
(大本営は京都に移されました。1896年4月1日大本営は詔勅によって解散されました。)
その後、建物は広島大本営跡として保存されていましたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみ残されています。
1926(大正15)年国の史跡に指定されました。1928(昭和3)年一般に開放されました。1945(昭和20)年8月6日原爆で倒壊しました。
資料は説明碑などを参考にしました
爆心地から≒900m  (被爆当時の町名も基町)
(だいほんえい)
大本営:
戦時の天皇直属の最高軍事統帥機関。
1893(明治26)年の戦時大本営条例で法制化され、日清・日露戦争時に設置されました。
1937(昭和12)年には大本営令により事変でも設置可能となり、以後敗戦まで存続。
1944(昭和19)年に最高戦争指導会議と改称されました。
2003年に撮影してこの頁を編集しました。
2016年撮影していなかった内部などを撮影していました。2019年にいまになりましたがこの頁を更新しました。
19.02.22..更新  04.03.27裕・編集
   関連頁:(大本営前の車回し植込みで被爆した)クロガネモチ           

03.08.22.撮影
広島市中区基町21

03.08.22.撮影

03.08.22.撮影

03.08.22.撮影
明治二十七八年戦役廣島大本営 昭和十年三月建設 (文部省)
※塗り潰されていますが文部省と読めます
説明板

03.08.22.撮影

07.03.12.撮影
東南角からみました

07.03.12.撮影
西側からみました

16.09.15.撮影
東側外からみました

16.09.15.撮影
(建物があった内部から束石の並びを撮影しましたが雑草が邪魔ですね)

16.09.15.撮影

16.09.15.撮影
基礎(束石)をみました 床束孔が彫ってある御影石

16.09.15.撮影

16.09.15.撮影
北側(裏側)外からみました)



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