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中区基町の広島城跡の中にいまも残る、明治天皇(1852-1912)の皇后・昭憲皇太后(1850-1914)が、日清戦争の折に滞在した建物の跡です。 |
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(戦後再建の)広島城天守から南、大本営跡から西側に位置していま。
元々、1890(明治23)年第五師団監査部庁舎として木造2階建で建てられました。大本営設置後はその事務所として使われていました。
1895(明治28)年3月19日皇后行啓した際に御座所として用いられました。この地で皇后も精力的に慰問を行っていたことが伝えられています。4月26日広島を出発されました。
1945(昭和20)年8月6日原爆により倒壊しました(爆心地からおおよそ900m)。現在は基礎石のみが残っています。
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日清戦争(にっしんせんそう) |
1894(明治27)年8月1日宣戦布告から翌(明治28)年4月21日詔書公布で戦争が終結した日本と清国の間で戦われた戦争。
朝鮮進出政策をとる日本は、宗主権を主張する清国と対立、甲午農民戦争(東学党の乱)を機に両国は朝鮮に出兵、日本軍は豊島(ほうとう)沖で清国軍艦を攻撃し開戦に至った。日本軍は平壌・黄海・威海衛などで勝利し、1895(明治28)年4月下関で講和条約締結。 |
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1894(明治27)年9月13日に大本営が宮中からこの地に移転、9月15日には戦争指揮のために明治天皇が広島へ移られ、1895(明治28)年4月27日大本営を京都に移され明治天皇広島出発。 |
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2003年大本営跡を撮影した時は、その西側に位置するここで取り上げた「昭憲皇太后御座所跡」のことはまだ知らなかったのです。その後広島城の資料を見ているときに大本営の建物(木造2階建)と同じような第五師団監察部の建物があり日清戦争時代、明治天皇皇后の昭憲皇太后御座所になったことを知り2013年撮影していました。頁を編集していなかったので、2016年のいまになりましたが この頁を編集しました。 |