旧山陽道(二代目)三本松

  安芸区上瀬野町上大山の旧西国街道沿いに植樹されている「旧山陽道(二代目)三本松」です。
※この辺りは、江戸時代諸大名の駕籠立場であり、茶屋立場であったそうです。
瀬野歴史散歩マップに解説がありましたので参照しました。
『「行程記」(萩藩18世紀作成)に「此所(久井原)に茶屋あり、諸大名駕籠立場也」と記され、旅人も茶屋で一休みして(江戸方面)大山峠に向かった。
大山峠を下ってき広島城下へ向かうために一休みした旅人もいたでしょう。
また、二宮五礼著「芸備名取合(なとりあい)」〔安政4(1857)年〕に「安芸郡瀬野塚松、七本松として日本第二の塚松といえり」』とあるそうです。
大山峠という難所があったことから休憩施設として設けられたもの(≒立場)です。
2006年瀬野川に架かる橋を下流から上流へと撮影しながらこの松の少し下流側の河島橋を撮影した時に目にした(3本でしたが)松並木でした。その時小さい松でしたが旧西国街道の趣がある風景だな〜と思ったのです。
その時は「旧山陽道三本松」の標識木柱はありませんでした。
2008年「大山峠を歩く」(安芸区主催)で、見た時に「旧山陽道三本松」の標識木柱がありました。この木柱をよく見ると平成19(2007)年4月に設置されたものでした。
ガイドの方の解説では『、ここには戦後まで大きな街道松があったそうですが枯れてしまい。代わりに若木を植えたものが育ってきており、旧山陽道の趣を再現してきています。』ということでした。
瀬野歴史散歩マップで知った、上瀬野信号者跡を訪ねた後、この三本松の先の「吉田松陰漢詩・説明板」を訪ねる途中でしたので、2017年撮影しました。また、この辺りが立場であったこともマップで教わりましたので、解説を加えこの頁を再編集しました。
2018年西日本豪雨で瀬野川の橋々が倒壊したことを新聞報道で知ったのです。
旧西国街道を下ってきてこの三本松には被害がなかったと思って撮影しました。この跡下って行った河島橋は橋自体が流失していましたので、改めて無事だったことにホッとしたこの三本松でしたので、この頁を更新しました。
2018年以前に撮影した瀬野川川床の雑草が流され本来の川床?が現われていました。
18.11.13.更新  17.01.10.再編集  09.01.20裕・記編集

08.10.11撮影
広島市安芸区上瀬野229附近

08.10.11撮影

08.10.11撮影

17.01.06.撮影

17.01.06.撮影
旧山陽道(旧西国街道)       (二代目)三本松       瀬野川

18.10.17.撮影
旧山陽道(旧西国街道)       (二代目)三本松             瀬野川(川底が洗われています)



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