(安芸郡)海田町沿革概要

  海田(かいた)は、瀬野川下流域の南東に位置しています。
中世には開田荘(平安末期〜戦国期にみえる荘園名)としてでてきます。安芸国安南郡のうち八条院領。
1176(安元2)年2月の八条院領目録に「庁分御庄」として能美・可部などと並んで「開田」がみえるそうです。
1198(建久9)年官宣旨案に荒山村南限が開田荘とあり、現在の海田町大字東海田にほぼ相当すると考えられています。

1371(応安4)年九州下向途中の今川了俊(1326-?)は「(八月)晦日はかひだとかいふ浦につきぬ、みなみには深山かさなりたり、ふもとに入海のひがたはるばるとみえ、北の山ぎはに所々家あり、こゝに廿日ばかりとゞまりて、長月の十九日の有明の月にいでゝ、しほひの浜を行程、なにとなく面白し」と“道ゆきぶり”に記しています。
江戸期には西国街道の宿駅として海田村(海田市)が設定され、深く湾入していた海田湾が干拓されて大きな新田が生まれました。一方当荘園の大部分は江戸期には奥海田村となりました。
1601 慶長6年 福島正則の慶長検地により(下記のように)定められました
かいたむら
海田村
おくかいたむら
奥海田村
1889 明治22年4月1日
[市町村施行時]
かいたいち
海田市町

奥海田村
1952 昭和27年6月1日 奥海田村→町制施行東海田町と改称
1956 昭和31年9月30日 海田市町+東海田町=海田町になりました
海田町の概要
面積:13.81ku 人口:29,677人 世帯:12,145世帯 (資料は資料は海田町の資料より) 平成18年2月末
人口:28,863人 世帯:12,435世帯 平成26年2月末
-安芸郡海田町の紹介- 資料は海田町の資料を参照しました
海田町は、広島市安芸区と安芸郡熊野町に接し、面積13.81kuです。
北に日浦山(345.9m)、東西に洞所山(641.4m)、金ヶ灯籠山(531.8m)の連峰が町境をなし、西は海に面し、中央を瀬野川が海田湾に注いでいます。
(広島市との)合併についての住民投票
『海田町と広島市との合併について町民の意思を問う住民投票条例』に基づき
2004(平成16)年8月22日に住民投票が実施されました。
投票率57.91% 賛成4437票、反対8418票で単独町政維持という住民の意思が示されました。
「旧・瀬野川町と隣町・海田町(平成の大合併で広島市と合併しわが区の一員になるのかと思っていたら、住民投票で単独町制を選択しました)をあわせてこの頁に取り上げることにしていますので表題もわが町‘附近’としたのです。」と云いながら海田町のこと僅かな知識しかなくを記述していませんでしたので少し調べこの頁を作成しました。
2014年になり、一昔前に編集しだした頁でしたので、見直し再編集しました。
14.04.08再編集  06.03.3裕記編集



「わが町(旧・瀬野川町)附近」編



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