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安芸区上瀬野の国道2号から旧道(旧西国街道)に入る処に建立されている「土方大作先生碑」です。 |
正面: |
土方大作先生碑
從三位勲二等 吉田賢龍書 |
裏面: |
(嵌め込みの碑文板が無くなっていますので碑文はわかりません)
昭和十(1935)年十月 建之
生存同窓生 二百五十名 |
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瀬野川流域郷土史懇談会「瀬野・歴史散歩マップ」によると
『上瀬野小学校発足以来30年間教鞭をとった土方先生を顕彰した記念碑です。』と解説があります。 |
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上瀬野小学校略沿革〔広島市立瀬野小学校の資料を参照しました〕
1873 |
明治6年3月15日上瀬野村鷹取垣内に創立、励志館と称す |
1877 |
明治10年 上瀬野小学校と改称 |
1891 |
明治24年7月 上瀬野尋常小学校に改称 |
1914 |
大正3年4月1日高等科併設、上瀬野尋常高等小学校に改称 |
1931 |
昭和6年4月1日 上瀬野村+下瀬野村=(安芸郡)瀬野村が成立 |
1935 |
昭和10年9月17日上瀬野尋常小学校+下瀬野尋常小学校=瀬野村立瀬野尋常小学校 |
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この碑が昭和10年10月建立されたということは、上瀬野小学校と下瀬野小学校が合併し瀬野小学校になった事とその記念ということも併せて建立されたのだろうと思いました。 |
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吉田 賢龍(よしだ けんり:1870- 1943) |
石川県生まれ。前名・三次郎。第三高等中学を経て1897(明治30)年東京帝国大学文科大学哲学科卒業。卒業後直ちに、東京真宗中学の主幹兼教授となり、1900(明治33)年から3年間校長も務めた。その後、早稲田大学の講師を務め、1907(明治40)年に千葉中学校の校長。
1914(大正3)年七高の事務取扱を命ぜられ、1915(大正4)年4月14日には館長(校長)に就任した。
1927(昭和2)年広島文理科大学創立委員を委嘱される。
1929(昭和4)年広島高等師範学校校長を兼任のまま広島文理科大学初代学長に就任。翌(1930)年3月に昭和天皇に3回にわたってご進講を行った。
1934(昭和9)年6月広島文理科大学長を退任。その後修道中学校(現在の修道中学校・修道高等学校)の校長を務める。
この碑の揮毫をした1935(昭和10)年広島文理科大学名誉教授。 |
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瀬野川流域郷土史懇談会発行「瀬野・歴史散歩マップ」にここで取り上げた土方大作先生碑の紹介があったのです。国道2号を走る車の中から見ていましたが、なかなか機会がなくて撮影することは無かったのです。
コロナ禍の2022年になりましたが、息子が旧西国街道沿いのこの土方先生碑と馬頭観音へ車で連れて来てくれたので撮影してこの頁を編集することができました。 |
22.04.30.裕・記編集 |