806 |
大同元年 |
弘法大師空海開基 |
889 |
〜989 |
(寛平年間)この時期に堂舎焼失 |
904 |
〜931 |
二代住職住持覚阿闍梨が京・仁和寺より千手千眼観音菩薩像を申請け再興 |
1221 |
承久3年 |
鳥籠山城主阿曾沼光網の祈願所となる。
この間一時期日蓮宗に改宗その後長仁上人によって再興(年代不詳) |
1357 |
延文3年 |
鳥籠山城主野村近江勝直の帰依する所となる |
1508 |
永正5年 |
小早川敬平四男真正が蓮華寺住職であったとき大繁栄 |
1527 |
大永7年 |
蓮華寺焼失
(阿曾沼氏が大内側から尼子側に寝返り大内、毛利側に攻め落とされたため) |
1691 |
天正19年 |
毛利輝元は蓮華寺住持俊性法印の弟子、俊恵(48歳)を多聞院初代住職とした |
1596 |
〜1602 |
(慶長年間) 福島左衛門大夫正則、芸備の太守の時に寺領没収され、京・仁和寺の支配する処となる。本格は江戸築地に移す。
末寺二十四坊は浄土真宗に改宗して広島寺町に移り現在に至る。 |
1602 |
慶長7年 |
堂宇の仏尊(本尊千手千眼観音菩薩像等)は広島明星院に引取られる |
1929 |
昭和4年 |
この地に生まれた真教僧都は大いなる由縁・仏縁を惜しみ蓮華寺山麓に堂宇を建立、安芸中野大師堂蓮華寺として再興した。
現・蓮華寺より山頂まで≒2kmにわたり八十八ヶ所石仏を建立、本堂跡に堂を建て奥の院(今はなく休憩場所となっている)として上下を結んだ。 |