はちようざん めいほういん れんげじ
八葉山 名峰院 蓮華寺
  安芸区中野に創建されている「(八葉山 名峰院)蓮華寺」です。
※広島新四国88ヶ所霊場第36番霊場です。
蓮華寺は、広島県真言宗教団のお寺で、本尊は弘法大師です。
(伝わるところによると)空海上人(774-835)は修行中の唐の萬寿廟より三鈷(さんこ:金剛杵の一つ)と数珠の二品を日本に向けて投じ、数珠は阿岐国(≒いまの広島、安芸国より古い呼び方)姫髪山の老檜に懸かり(もう一品の三鈷は紀の国・高野山に到った)。
唐から帰国した空海上人は大同元(814)年八月、阿岐国姫髪山に堂宇を建立しそれを八葉山名峰院蓮華寺とした。
蓮華寺の年譜 資料は説明版を参考にしました
806 大同元年 弘法大師空海開基
889 〜989 (寛平年間)この時期に堂舎焼失
904 〜931 二代住職住持覚阿闍梨が京・仁和寺より千手千眼観音菩薩像を申請け再興
1221 承久3年 鳥籠山城主阿曾沼光網の祈願所となる。
この間一時期日蓮宗に改宗その後長仁上人によって再興(年代不詳)
1357 延文3年 鳥籠山城主野村近江勝直の帰依する所となる
1508 永正5年 小早川敬平四男真正が蓮華寺住職であったとき大繁栄
1527 大永7年 蓮華寺焼失
(阿曾沼氏が大内側から尼子側に寝返り大内、毛利側に攻め落とされたため)
1691 天正19年 毛利輝元は蓮華寺住持俊性法印の弟子、俊恵(48歳)を多聞院初代住職とした
1596 1602 (慶長年間) 福島左衛門大夫正則、芸備の太守の時に寺領没収され、京・仁和寺の支配する処となる。本格は江戸築地に移す。
末寺二十四坊は浄土真宗に改宗して広島寺町に移り現在に至る。
1602 慶長7年 堂宇の仏尊(本尊千手千眼観音菩薩像等)は広島明星院に引取られる
1929 昭和4年 この地に生まれた真教僧都は大いなる由縁・仏縁を惜しみ蓮華寺山麓に堂宇を建立、安芸中野大師堂蓮華寺として再興した。
現・蓮華寺より山頂まで≒2kmにわたり八十八ヶ所石仏を建立、本堂跡に堂を建て奥の院(今はなく休憩場所となっている)として上下を結んだ。
2005年広報ひろしま紹介があった「蓮華寺山ハイキング」に参加して、わが町のこの蓮華寺をお参りしたのです。いまはお参りする人も僅か?なこのお寺には大いなる由来があったのです。
ハイキングでの(説明用に)縁起が記述してある説明板を読めば、ただわたしが無知なだけだったのです。ぜひあなたもにも知っていただきたくての紹介します。
05.05.07裕・記編集
関連頁: 明星院(本尊千手千眼観音菩薩像が引取られたというお寺)

05.04.03撮影
広島市安芸区中野2-65-20

05.04.03撮影

05.04.03撮影
ハイキング途中境内でお寺の縁起などを説明していただきました



広島の神社仏閣」編
(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)


「わが町附近」編



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蓮華寺
 (境内社)白髭大明神
蓮華寺山八十八ヶ所石仏
 

蓮華寺山ハイキング


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