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東広島市八本松のJR八本松駅から広島市安芸区上瀬野一貫田まで旧山陽道を歩いた記録です。
※(広島市)瀬野公民館主催「瀬野まちあるき〜大山峠を歩く」に参加させていただいたのです。 |
大山峠は、旧山陽道にある峠です。(間宿といわれた)上瀬野・一貫田宿から(現・東広島市八本松町宗吉の南辺を越え八本松町飯田から)西条・四日市宿へと続く途中の峠で、難所だったのです。
『延喜式※』に駅家・大山駅はこの付近のことであったと伝わっています。
『芸藩通志』には「関の清水」「関平山」などの地名があることから、ここに関が置かれていたとも考えられています。
1884(明治17)年暫定国道開通で使用されなくなり寂れていました。しかし近年、健康志向での里山歩きや旧西国街道歩きなどで見直され、地元ボランティアの方々などの山道整備でウォーキングのコースとして人気のコースになっているようです。 |
2008年10月11日瀬野公民館主催「瀬野まちあるき〜大山峠を歩く」に参加させていただいたのです。 |
わが町(旧瀬野川町)に10余年前に引越してきてから大山峠を歩いてみなくてはと思っていたのです、以前同じような企画を「広報ひろしま」でみて申込んだことがありましたが、定員に達したということで参加できなかったのです。今(2008年)回参加者は60名を超したということから人気のウォーキングコースなのだと改めて知りました。 |
※長尾一里塚跡碑〜伝・大山鍛冶の墓は東広島市に属していますので、わが町(旧瀬野川町)ではありませんが、番外としてわが町に入れて編集しています。 |
09.01.31更新 09.01.15裕・記編集 |
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08.10.11撮影 |
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07.11.03撮影 |
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えんぎしき
延喜式 |
平安中期の律令の施行細則。五十巻。
905(延喜5)年藤原時平(871-909)らが醍醐天皇(885-930:第60代在位897-930)の命により編纂を始め、時平の死後藤原忠平(880-949)らにより927(延長2)年完成。施行は967(康保4)年。
弘仁式・貞観式を踏まえて編まれたもので、のちの律令政治の基本法となった。 |
巻28: |
兵部省に関わるもので、その中の諸国駅伝馬条には五畿七道の402ヶ所にのぼる宿駅の名称と備えるべき駅馬や伝馬の数が記載されている。 |
五畿七道 |
律令制の基本行政単位である国の上部に設定された地方行政上の地域区分。
五畿は山城(京都府)、大和(奈良県)、摂津(大阪府・兵庫県)、河内(大阪府)、和泉(大阪府)の五か国。
七道は、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道をさす。
諸国はこの七道に編成され、また大・上・中・下の等級があった。五畿七道の区分は以後日本の地方区分の基本となった。 |
えきか
駅家 |
律令制で、駅使や官人の往来、あるいは文書の伝達のため、宿舎・食糧・人馬などを供した施設。
駅長が駅子(えきし)を指揮して運営した。駅亭。うまや。 |
しゅくえき
宿駅 |
交通の要地にあって、宿泊のための設備や輸送に携わる人馬を有した集落。
鎌倉時代以降発達し、江戸時代には宿場町となる。 |
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