広島県海田警察署

  広島県安芸郡海田町つくも町に建てられている「広島県海田警察署」です。
※管轄区域:広島市安芸区、(安芸郡のうち)坂町、熊野町、海田町。
わが町(安芸区中野東)を犯罪から守ってくれるのが広島県海田警察署なのです。
昭和48(1973)年3月20日わが町(旧名)安芸郡瀬野川町は広島市と合併し、昭和55(1980)年4月1日広島市安芸区となりましたが(広島市の警察署に)移管されることもなく、広域的な見地からでしょう海田署の管轄は今日に至っています。
海田警察署略沿革 *資料は海田警察署の資料を参考にしました
1875(明治8)年3月 第3船越邏卒(らそつ)出張所を安芸郡船越村植木省吾邸宅内に設置
1876(明治9)年2月
        4月15日
第3大区警察出張所と改称。
大1区1番屯所と改称、海田市町の阿曽沼只次郎宅へ移転
1877(明治10)年2月 広島警察署海田市分署と改称。
1886(明治19)年11月 呉警察署海田市分署と改称。明治20年12月海田市町159番地に庁舎完成。
1893(明治26)年12月 呉警察署海田市分署が独立し海田市警察署となる。
1948(昭和23)年1月 国家地方警察広島県安芸地区警察署となる。
1954(昭和29)年7月

海田市警察署と改称。海田市町西九割(明神橋西1丁)に庁舎移転。

1967(昭和32)年1月 海田市警察署を海田警察署と改称
1975(昭和50)年3月 現在地(海田町つくも町1番45号)に庁舎新築
1987(昭和62)年1月 安芸郡府中町が広島東警察署に移管
(らそつ)
邏卒:
1)見まわりの兵卒。巡邏(じゆんら)の兵隊。
2)巡査の旧称。明治初年、各府県で警察の任にあたった者。
(けいさつしょ)
警察署:
都道府県警察の下部機構で、おのおのその管轄区域内の警察事務を扱う官署。
先日(2005年11月22日)矢野西小学校1年生の木下あいりさん(7)が殺害され箱に詰められ放置されていたという悲しい事件が起こりました。
11月30日ペルー国籍:ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(34)の犯人が逮捕されましたが、
連日といっていいほどこの海田警察署前からレポーターが事件経過を報告する処が中継されていますので、ご覧になった方も多いことでしょう。
2011(平成23)年7月28日(最高裁差し戻し)広島高裁は一審(無期懲役)を支持。
2011(平成23)年8月11日検察、被告側双方が上告せず「無期懲役」が確定。
2011(平成23)年3月18日あいりさんの同級生115人の卒業式があった。
式終了後、(保手浜和益校長)校長室で、あいりさんの母・美和子さんに同じ文書の「卒業証書」を『入学されてから6年間多くの友の中で共に過ごした事を証します』と読み換え渡された。
父・健一さんは陸上自衛隊隊員として東日本大震災に災害派遣中で欠席でした。
運転免許の手続きも海田署でするのです。その手続きの時に撮影しました。
残念なことに、2005年のこの残忍な事件でわが区・安芸区の名が一挙全国区になってしまいました。
広島県のweb siteをみていたら海田署の沿革が掲載されていましたので、略沿革を掲載しました。
2020年この海田警察署の先にある瀬野川ガス管橋を撮影に行ったとき、あいりさんの事件から幾年たったのだろうと思い、撮影しておくかと思ったのです。
事件から15年たったことを確認していた所でした。そんな折、11月19日中國新聞で矢野西小学校と海田町民グループが続けているあいりちゃんの“ヒマワリの輪”という記事をみましたので、この頁を更新する事にしました。
20.11.23更新   05.11.07裕・記編集

05.10.03撮影
広島県安芸郡海田町つくも町1番45号    TEL( 082 ) 820-0110

05.10.03撮影
 

20.02.14.撮影
“海田新橋”の下からみました

20.02.14.撮影
塔屋の看板「交通安全」「ゆっくり走ろう」「違法駐車追放」は2005年当時と変わらないようです

20.02.14.撮影

20.11.10.撮影
瀬野川対岸(右岸)からみました

20.11.10.撮影



「建物など」編



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「わが町(附近」編


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