(新町)荒神社

  安芸郡海田町の新町に胡神社と荒神社が境内に向き合って鎮座しています。
*ここでは、荒神社を取り上げました。
  江戸期の1673(寛文元)に新開ができ瀬野川の流れが変えられこの辺りは瀬野川でしたが、明治期になって埋め立てられた処だそうです。(∴新町と名付けられた?)
当時は川土手に当たる狭い場所に祠が向かい合うように創建されていたそうです。
     新町胡神社 (海田市ガイドの会+海田町制作の案内マップ)
1878(明治6)年瀬野川の瀬替えに伴い勧請されたと思われます。
     新町荒神社の由来    平成15(2003)年1月1日 新町胡子神社奉賛会
当社は、天文(1532-1555)※、天明(1781-1789)、天保(1830-1844)と三回にわたり下市(現在の新町)から出火し新町大半が焼失する大火がありました。
文化11(1814)年当社が鎮座、その後大火もなく平穏な日々が現在に至っております。
荒神(こうじん)さんは「竈(かまど)」火の神、日常生活に大きな力を持っておられます。
 ※ 海田町ガイドの会と新町胡子神社の説明板に違いがありますので併記しました。
奉賛会の説明板には「天分」とありますが、元号にはありませんので天文(てんぶん)と思います。
そして何よりも、
文化11年以来大火がないと記述していますが、文化の後の天保に大火があったことになりますので、記述全体に疑問をわたしは持ったのです。
また、天文の大火ですが、天文は足利将軍時代の室町期で、江戸期の海田市のように町として発展していたのか?との疑問も残るので、大火の記述があるとする文献を示す必要があるのではと思うのです。
被爆70年の2015年久しぶりに熊野神社に建立の「海田町・戦没者原爆死没者慰霊塔」を訪ねたのです。その帰りJR海田市駅に行く途中の、この荒神社と向かいに鎮座胡荒神社を撮影しました。
別々の神社ですので、それぞれの頁を画像の違うものを加え編集しました。
16.02.15裕・記編集

15.03.03撮影
広島市安芸区中野7-45-3

15.03.03撮影
広島県安芸郡海田町新町11

15.03.03撮影
胡神社 と 荒神社

15.03.03撮影

15.03.03撮影

15.03.03撮影
荒神社

15.03.03撮影



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