(広島城の) 外濠跡碑・外郭説明板など

  広島市中区(中心部)に建立されている外濠跡・碑やヤグラ跡・碑などを取り上げました。
この頁では、「広島城八丁堀外濠跡」碑、「八丁馬場跡・京口御門跡』説明板、「広島城外濠、ヤグラ跡」碑、「広島城外郭」説明板を取り上げました。
別頁で「広島城・大手廓跡」説明版を取り上げました。
その中に、外濠(外堀)などの位置関係図があり位置関係がよく理解できますのでこの頁下段にも掲載。

24.01.25.撮影

04.08.07撮影

05.05.11撮影

05.02.10撮影

広島城・大手廓跡
説明版

八丁堀外濠跡・碑 八丁堀外濠跡・碑
京口御門説明板
外濠、ヤグラ跡・碑
28.02.08.編集 24.02.08.更新 24.02.06.更新 24.02.06.更新
2004年になって広島城外堀・石垣のモニュメントが設置されていたことをわたしははじめて知りました。
この前を何度となく通っているというのに、
福屋百貨店・原爆被災説明板が設置されている横に「八丁堀外濠跡」碑が建立されていることも資料をみているとき知ったのです。
そこから北側に≒250m行くと京口門バス停がありそこにも「広島城八丁堀外濠」跡が設置され、「八丁馬場跡・京口御門跡」の説明板が設置されています。
また、市民球場前(いまは、市民球場が解体されていますので旧市民球場前)にも「広島城外濠、ヤグラ跡」碑が設置されています。
広島市民病院北西角と北東角には「広島城中堀跡」説明碑が設置されています。まち歩きをしながら広島城の大きさを感じつことができる広島城関連の石碑たちでもあるのです。
再建された広島城だけではなくその周辺も広島城に繋がる碑が建立されていますので、広島城を思いながらぶらり散歩てみるのもお勧めです。
24.02.08.更新  04.12.25裕・編集
広島城八丁堀外濠跡
  中区八丁堀の電車通(相生通)に建立されている「広島城八丁堀外濠跡」碑です。
※現在の電車通りは、広島城外濠(外堀)が埋戻され、大正時代に市内電車通りになったのです。
また、碑東側横から北に伸びる道が外堀でしたので、この位置に碑が建てられたのでしょう。
2004年撮影時には(旧第一勧業銀行)みずほ銀行前に建立されていましたが、みずほ銀行が紙屋町交差点のところにある旧興業銀行ビルの処に移転し、そのあとは貸しビルになっており、時の流れを思いながら2024年に久しぶりに撮影しました。

04.08.07撮影
広島市中区八丁堀16 みずほ銀行前北西角横断歩道ねきに設置










24.01.25撮影
広島市中区八丁堀16 第一ビル前    〔北に伸びる道が昔の八丁堀・外濠〕

24.01.25撮影
≒南側からみました

24.01.25撮影

24.01.25撮影
≒東側からみました ≒北側からみました

24.01.25撮影
電車通越に≒南東のビルが(被爆建物)福屋百貨店です
「広島城八丁堀外濠跡」碑 京口御門跡・説明板
  中区八丁堀の広電京口門バス停の処に建立されている「八丁馬場跡・京口御門跡」説明板です。
※少し北側に行くと(京口門公園植込の中に)広島城外濠跡・碑が建立されています。
2005年撮影していましたが、この説明板の建立位置がよくわからないので、
2024年に訪ね撮影しました。
広電バスの京口門バス停の南側に建立されています。
   関連頁:京口門公園
“八丁馬場跡・京口御門跡”の説明版
毛利輝元(1553-1625)は、天正19(1591)年広島城を築城したとき、南側の外堀と中堀との間を東西に走る大路をつくり、それを浅野藩の時代には八丁馬場とよんだ。
その道路の東側にある門は、広島城から京都へ向かう最初の出入口にあたる処の門なので、京口御門と呼ばれていたそうです。
 
05.05.11撮影

24.01.25.撮影
広島市中区八丁堀3 京口門公園前   手前:説明版、向側:八丁堀外濠跡・碑

24.01.25.撮影
(説明板:説明文上記)
「広島城八丁堀外濠跡」碑 と 京口御門跡・説明板 
  中区八丁堀の京口門公園植込の中に建立されている「広島城外濠跡」碑です。
※少し南側に行くと(京口門公園植込の中に)る「八丁馬場跡・京口御門跡」説明板が建立されています。
コロナ禍の2021年近くを通りましたので久しぶりに撮影しました。碑は、ツタに隠れているようで通る人に振り向きもされず?ひっそりと建っています。22.12.26.追記

05.05.11撮影

05.05.11撮影
広島市中区八丁堀3 京口門公園前に設置の「広島城八丁堀外濠跡」碑

21.10.22.撮影

21.10.22.撮影

21.10.22.撮影
(201年久しぶりに撮影しました)

23.01.25.撮影
広電京口門バス停の北側に建立(現在バス通りになっていますが、戦前は市内電車白島線でした)

23.01.25.撮影
(公園内)≒南西側からみました

23.01.25.撮影
(建物は公衆トイレ) ≒西北西側からみました

23.01.25.撮影
(歩道)≒東側から碑正面をみました
広島城外濠、ヤグラ跡
  中区基町の広電・原爆ドーム前電停近くに建立されている「広島城外濠・ヤグラ跡」碑です。
※広島城外濠(外堀)南西角付近に当たる処に碑が建立されています(下段の地図を見てください)。
2005年に電車通りから撮影した時は、後側に(当時まだ建っていた)広島市民球場が写っています。
時を経て2024年撮影した時、市民球場はJR広島駅近くに移転し跡地は広島ゲートパークに変貌しています。

05.02.10撮影
広島市中区基町広島市民球場前(東側)に設置されています 広島城外濠、ヤグラ跡

05.02.10撮影
現在電車道(昔は堀だった)になっています、僅かに原爆ドームが見えています

11.05.21.撮影
(後側:2010年9月閉鎖された広島市民球場の建屋が写っています)

24.01.25.撮影
現在電車道(江戸時代は外堀だった)になっています。  (後側:折り鶴タワー)

24.01.25.撮影
広電・原爆ドーム前電停

24.01.25.撮影
正面(南側)から見ました     (後側:広島ゲートパークになっています)

24.01.25.撮影
「広島城外濠 ヤグラ跡」

24.01.25.撮影
≒南東側からみました
 広島城廓など位置図

24.01.25.撮影
 (外濠・碑などの位置も追記しました)
外郭説明板
広島市中区基町のパセーラ前広場に建立されている「広島城・大手廓(外廓)跡」説明板が地図(上段掲載)もあり、この説明板を包括する説明板になっていますので。
2004年当時はこの説明板しかわああたしは知らなかったので、貴重な説明板でしたので取り上げていました。
2024年この頁を更新しようとここで取り上げた碑などを撮影していた時、パセーラ前広場に“広島城・大手廓跡説明版”が設置されていることを知りましたので。
広島城の外郭(そとくるわ)と櫓(やぐら)
約四百年前毛利輝元の築いた広島城は、その後十年余り後に入城した福島正則によって大改修・整備され、本丸を中心に内堀・中彫・そして太田川の本流・分流をもって外堀とする三重の堀で囲まれた総構え(総曲輪そうくるわ)の形になったとといわれる。
これらの堀に面した所には数多くの櫓が設けられた。城西の外郭に当る旧太田川の東岸沿いには十三ヶ所にわたり単層・二層の櫓が設けられ白壁の堀で結ばれていたことなどが、各種の絵図や19世紀前半に描かれた「広島全景図」等によって知られる。櫓は城全体では八十八を数え広島城の特色をなした。
資料は本川沿いの土手に設置されている説明版による



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