広島城二の丸跡  (表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓)

  中区基町の広島城跡に再建されている「広島城二の丸跡」を取り上げました。
【規模】 桁行m 梁間m 棟高m
  平櫓 12.43  8.64   7.76
  多聞櫓 67.86  4.93   5.13
  太鼓櫓  8.49  7.76  10.60
平櫓、多聞櫓及び太鼓櫓の創建時期は、天正期(16世紀)末頃と推定されています。
このうち太鼓櫓は17世紀初期に改修されたものの、三棟とも江戸時代を通して、二の丸の馬出機能を確保する建物として存在していました。その後、平櫓及び多聞櫓西半分(平櫓側)は明治初期に取り壊され、残った太鼓櫓や多聞櫓東半分についても昭和20(1945)年8月6日の原爆被爆によって倒壊炎上しました。
この建物は、平成元(1989)年の広島城築城四百年を記念して、発掘調査や昭和初期に当時の陸軍築城本部が作成した実測数値、明治から昭和にかけての写真等をもとに、復元に着手し、平成6(1994)年8月に完成したものです。
以前からこの二の丸跡は散策していたところですが、2004年5月交流ウォークではじめて平櫓横から入り内部を見学したことで、新たなことを知ったのです。
内部の見学は無料です(ので、時間があれば是非にでも見学なさったらと余計なことを記しました)。
最初に頁を編集した時は、内堀側からの撮影がありませんでしたので撮影し追記ました。
05.11.03更新   04.06.16裕・編集

05.01.13撮影
 広島市中区基町
史跡広島城跡二の丸表御門(復元)
規模 桁行7.64m、梁間4.85m、軒の出1.27m、軒高7.03m、棟高10.61m
構造 木造脇戸付櫓門、入母屋造、本瓦葺、軸組真壁
表御門は、天正期末(16世紀末)頃の建造と推定され、昭和20(1945)年8月6日の原爆被爆による焼失まで約350年間存続していました。
現在の表御門は、平成元(1989)年の広島城築城四百年を記念して復元に着手し、平成3(1991)年に完成したものです。この平成の復元では、昭和9(1934)年当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図をもとに、発掘調査の成果や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討して、焼失後も残存した表御門の礎石上に昔どおりの工法によって往時の姿をよみがえらせています。
平成3(1991)年12月 広島市教育委員会

05.09.25撮影

05.09.25撮影

05.01.13撮影
平櫓  多聞櫓 太鼓櫓

05.01.13撮影

’04.05.15撮影
広島城跡 二の丸跡 多聞櫓
史跡 広島城跡二の丸

平櫓・多聞櫓・太鼓櫓 (復元)
【構造】
平櫓 木造一重隅櫓、入母屋造、本瓦葺
多聞櫓 木造一重渡櫓、切妻造、本瓦葺
太鼓櫓 木造二重二階隅櫓、入母屋造、本瓦葺

’04.05.15撮影
史跡 広島城跡 二の丸・説明板
(にのまる)
二の丸:
城の曲輪(くるわ)の名称。副郭の一。
多くの場合二番目に重要な曲輪。城外から中心曲輪に至る道順に位置する。二の曲輪。
(ほんまる)
本丸:
城の曲輪(くるわ)の一。
守城戦において最終拠点となる、最も重要な曲輪。本曲輪。



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