広島城 中堀跡

  中区基町の広島市民病院北西角と中央庭球場西南側角とに設置されている「広島城中掘跡・説明板」です。
広島城中掘跡   発掘調査1991(平成3)年6月〜11月 (財)広島市歴史科学教育事業団
この堀は、かって広島城内でした、広島城は1589(天正17)年頃から築かれ明治初(1868)年まで存続しました。
城郭は約1km四方の広さで、本丸・二の丸や内堀を含め、大小の郭(くるわ)と三重の城堀をめぐらしていました、その三重の城堀のひとつ中掘の一部、東西長204m部分がこの敷地内から発掘されました。
堀幅は約20m、堀の両際には石垣列が連なり北側中央部には櫓(やぐら)建物が乗っていた石垣台の下半部ものこっていました。この石はその石垣台の石材です(敷地東隅に櫓台石垣写真の説明版あります)。
発掘により、堀内からは、瓦や陶磁器、下駄・漆器他の木製品も出土し、三角州を長大に掘って堀をめぐらせたこと、工夫をこらして砂地へ直に石垣を積んだこと、堀沿いに建物が並び当時の人々の暮らしがあった事などが確かめられました。
いままでこの説明碑の前を通っていても足を止めて説明版を読むなんて事はなかったのです。
少しばかり足を止め目を閉じれば四百年前の廣島に立ち戻ることができるほど(現在は)静かな環境ではないのですが、チト昔を考えることが出来るのではないでしょうか・・・
もう一方にも説明版がある事を説明版を読んで知っていましたが年を越して今(2005)年寄ってみて撮影しました。
05.04.13更新   04.12.25裕・記編集

04.09.18撮影
広島市中区基町7  広島市民病院北西角に設置
広島城中掘跡   発掘調査1991(平成3)年6月〜11月
  この堀はかって広島城内であった、広島城は1589(天正17)年頃から築かれ明治初年まで存続した。城郭は約1km四方の広さで、本丸・二の丸や内堀を含め、大小の郭(くるわ)と三重の城堀をめぐらしていた、その三重の城堀のひとつ中掘の一部、東西長204m部分がこの敷地内から発掘された。
堀幅は約20m、堀の両際には石垣列が連なり北側中央部には櫓建物が乗っていた石垣台の下半部ものこっていた。この石はその石垣台の石材である(堀跡全景写真はもう一つの説明版にある)。発掘により堀内からは、瓦や陶磁器、下駄・漆器他の木製品も出土し、三角州を長大に掘って堀をめぐらせたこと、工夫をこらして砂地へ直に石垣を積んだこと、堀沿いに建物が並び当時の人々の暮らしがあった事が確かめられた。
調査主体:(財)広島市歴史科学教育事業団

05.01.13撮影

05.01.13撮影
広島市中区基町 中央庭球場西南側角に設置



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