(東千田公園)メタセコイアの並木道

  広島市中区千田町の東千田公園にある「メタセコイアの並木道」です。
現在、“森戸の路”と“シンボル広場”と名付けられた処の並木道ですが、(広島大学千田キャンパス)並木道が先でできて、名前は東千田公園になって付けられています。
この場所は、もともとは1929(昭和4)年設立した“広島文理科大学”の敷地で、
1949(昭和24)年広島大学に包括され広島大学の敷地になったのです。
その後、広島大学は東広島市への移転が決まり、各学部が東広島市へ移転していくことになり、1991(平成3)年理学部が東広島市へ移転し、1994(平成6)年度に各部の移転が完了しました。
後に、東千田公園に整備されたのです。
森戸とは、
森戸辰雄(1888-1984)のこと。1950年から1963年まで広島大学初代学長だったことで名付けられたようです。
メタセコイア(Metasequoia glyptostroboides)は、生きた化石と云われています。
寄付金によりカルフォルニア大学から移入された個体を母樹とした苗木を京都大学から移入したものだそうです。
メタセコイア: スギ科の落葉針葉高木。化石植物として知られていたが、1943(昭和18)年に中国四川省で現生種が発見された。
生長が早く、世界各地で公園樹や街路樹として栽植される。高さ35m、径2mに達する。葉は線形で軟らかい。曙杉(あけぼのすぎ)。
1939(昭和14)年日本でセコイアに似た化石が発見され、化石発見者の三木茂博士(香川県出身。京大卒。植物学者:1901-1974)により「メタセコイア」と命名、1941(昭和16)年に学会へ発表されました。
2003年撮影
はじめて撮影しましたが。
日赤病院近くのこの東千田公園には、定期検診後に立ち寄りこの並木道に設置されているベンチで休んだりしていましたが、木の名前は知らなかったのです。
2007年撮影
紅葉が美しいな~と見上げていたのですが足元を見ると「メタセコイアのプレート」が設置されていることにはじめて気が付き、樹木の名前が判り撮影しました。
民間に払い下げらたこの地、メタセコイアの並木道を取り巻く風景も間もなく変わってくるのでしょうね~
2024年撮影
以前とは違う説明板で、24本のメタセコイヤが植樹されていることを知りました。
25.01.15,更新  08.04.16裕・記編集
2003年撮影
はじめて撮影しましたが、何の樹木なのだろうと思っただけでした。

03.07.28.撮影
広島市中区千田町1丁目 (東千田公園:広島大学の跡地)
2007年撮影
なかなかな紅葉の並木道になったと思い撮影しました。
設置の説明板(上記)で「メタセコイア」であることが分かりました。

07.12.10.撮影
西側からみました

07.12.10.撮影
東側からみました
2024年撮影
並木道途中に設置の東千田公園説明板をみたのです(下画像)。
メタセコイヤは、並木道北側に10本+南側に14本=24本植樹されています。

(設置の)東千田公園説明板の一部を24.01.25.撮影
並木道の途中に設置(東千田公園)説明板

24.01.25.撮影
東側からメタセコイヤ並木道みました

43.01.25.撮影
いまは、千田公園の名札が漬けられている門柱をみました

24.01.25.撮影
森戸の路から(東千田公園)メイン広場に植樹のメタセコイヤをみました

24.01.25.撮影
(被爆建物)の旧広島文理科大学をみました



「植物」編



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東千田公園
  (公園の)メタセコイアの並木道
  (公園の)秋篠宮殿下・妃殿下植樹
(被爆当時)広島文理科大学
旧広島文理科大学門柱
(仮移設時の)ふりかえりの塔

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