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中区基町の中央公園(広場西側)に建立されている「大田洋子文学碑」です。
*2020年サッカースタジアム建設前の発掘調査でこの碑は見学できなくなっています。
(移転再設置予定ありとの報道ですが、時期的なものなど未定でサッカースタジアム完成同時期?) |
1945(昭和20)年8月6日白島九軒町にあった妹の家に疎開中被爆した小説家大田洋子さんの文学碑です。
原爆症発症の恐怖と闘いながら、常に原爆の使用を告発する強い姿勢をとり続けていましたが、1955(昭和30)年「夕凪の街と人と」を最後に晩年は原爆小説から距離を置くようになったそうです。
1963(昭和38)年取材旅行先の福島県猪苗代町で心臓麻痺により死去されました。 |
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「屍の街」は、大田洋子の原爆被爆後の第1作で、広島市内の白島で被爆し、川のほとりで何日か野宿した後、佐伯町・玖島村へ逃げのびるまでの惨状と恐怖の記録です。 |
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屍
の
街
よ
り
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大
田
洋
子
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歩 い て 行 っ た
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叫 び な が ら
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と 歌 の や う
に
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天 に 焼 か れ る
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天 に 焼 か れ る
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少 女 た ち は
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1903 |
明治36年11月20日 |
広島県生まれ、本名初子 |
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進徳高女卒業(広島市の女学校) |
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東京で文筆活動小説「流離の岸」「櫻の國」など |
1945 |
昭和20年8月6日 |
白島九軒町にあった姉の家に疎開中被爆 |
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佐伯郡玖島村(現佐伯町)に避難「屍の街」執筆 |
1948 |
昭和23年11月 |
GHQのプレスコードにあい1部削除などしてやっと出版
1950(昭和25)年復元完本とし再販
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1963 |
昭和38年12月10日 |
福島県猪苗代町中の沢温泉取材中急逝 |
1978 |
昭和53年7月16日 |
知人有志で「核時代の平和の道標」として文学碑を建立 |
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資料を見ていて、(広島市)中央公園に建立されていることを知り訪ねました。
中央公園のいわゆる広場の西側に建立されています、この碑の設計が広島百橋の著者である四国五郎さんと云うこともわかりました。姉を妹の家で被爆でしたので、訂正しました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.05.01.再編集 02.07.16裕・記編集 |