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中区基町に設置されている「渝華園」です。
※サッカースタジアム建設予定地内にある“渝華園”を市が(2022年度以降に)移転することにしたそうです。 |
この庭園は、中国四川省重慶市との友好都市提携五周年(1991年)の記念事業として、重慶市から贈られた設計図を基づき、広島市が建設したもので、中国伝統的造園理論と手法を生かし、四川庭園の特徴を取り入れた古典的庭園です。
「渝華園」の渝とは重慶市の古称であり、華とは華美を意味します。
面積は約1700uで、周囲に透かし彫を施した塀を巡らし、園内には回廊・あずまや・門などの伝統的建築物と池・樹木・石組などがそれぞれの趣を醸し出し、四季を通じて景色を楽しみながら、庭園内を回遊できるようになっています。
庭園の出入り口のある東側は、大小三つの門と中庭を配し、西側は山水庭園区として池(洗秋池せんしゅうち)を中心にあずまや(流香しゃ=木偏に射及び罨秀亭あんしゅうてい)・回廊(擔碧廊たんへきろう)で構成されており、これらの施設は庭園の中心的景観を構成しています。 |
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昨(2004)年8月アジアサッカー連盟(AFC) が主催する第13回アジアカップ(Asian
Cup)。重慶市などでの、日本チーム日本人サポーターへの異状ともいえる罵声などの「反日」行為が大きく報道されました。 |
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20年近く前、1986(昭和61)年10月広島市と重慶市は友好都市になっているのです。
友好都市提携の動機は『広島市と重慶市の間には、第二次世界大戦において甚大な被害を受けた市民の復興に向けたたゆまぬ努力があり、平和に対する意識が高い、という類似点がありました。
また、1984(昭和59)年に広島県が四川省(当時、重慶市は同省に属していた)と友好提携を行ったことも、広島市と重慶市との提携の気運を高める要因となりました。』
協定書には、両市及び市民は「友好親善及び相互理解を一層推進し、日中両国国民の世々代々にわたる友好関係の促進並びにアジア及び世界の平和に貢献するため、・・・諸分野で協力と交流の実現に向けて努力する」と謳われています。 |
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一部中国人が暴徒化した事は、本来のスポーツマンシップの精神に反している状態で許してはならないことなのですが、第二次世界大戦で日本軍の空爆を受けた重慶市民の心には(広島市との友好都市提携は表面的なことだったのではと・・・)いまだ消え去る事ができない深い傷がある事を思いました。 |
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今(2014)年7月8日TV報道などで『中国紙に「原爆キノコ雲」外相が厳重抗議へ』という事を知りました。
『共産党の青年組織、共産主義青年団系の新聞「重慶青年報」で、最新号の4頁目全体を使い日本地図の広島と長崎に原爆のキノコ雲のイラストを載せています。(わたしはTV・ニュース画像でみました)
記事は「日本が再び戦争を望んでいる」とのタイトルで、隣の紙面には「これまで我々は日本に友好的すぎた」などと日本の集団的自衛権の行使容認を批判する社説も掲載されている。』という報道でした。 |
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2005年この頁を編集する時にも取り上げましたが、広島市と友好都市である重慶市の青年たちがいまだ心を閉じ69年前に原爆で起きた惨劇を繰り返さないようにと願い重慶市民と共に平和を追求していこうとしていた努力が報いられていないむなしさを感じる報道でした。
広島出身の岸田外相が『「日本批判の記事の中でキノコ雲をイラストとして使うことは被爆者の感情を逆なでする」などと非難。その上で、「唯一の被爆国として許せない」として厳重に抗議する方針を示した。』という処をTV画像でみましたが、抗議は日本国としてなさなければならないでしょうが、首脳会談さえ出来ない現状を打破する方策を考えるのがいまの政府に求められている事ではないのだろうかと(わたしは)思っています。 |
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2005(平成17)年広島ぶらり散歩「公園・緑地など」編に加えるべく撮影しこの頁を編集しました。
重慶市とは友好都市提携を結んでいるのにいまだ心の傷をいやすことが出来ていない出来事も避けて通れませんので記述しています。
2011(平成23)年になってHP「広島ぶらり散歩」を引越していますが、この頁の画像処理も悪いと感じ、画像を入替えました。2006年城南通りから撮影した画像が間違っていたようですので、差替えました。また、2009年アメンボを撮影していたものも加え更新しました。
2014(平成26)年『中国重慶市の週刊紙に「原爆キノコ雲」外相が厳重抗議へ』という報道を知りましたので追記しました。 |
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2021(令和3)年7月17日中國新聞報道で、 “広島市がサッカースタジアム建設に伴って移転を決めた渝華園”という事をを知りました。〔移転先はまだ未定〕
『広島市は、中央公園広場へのサッカースタジアム建設に伴い、予定地にある中国庭園「渝華園」を移転する。年内をめどに移転先を決め、完了は2022年度以降を見込む。
現在は来園者が少ないとして、移転を機に市民の憩いの場として再生を目指す。
広島市によると、スタジアムの南西部分の用地が渝華園と重なるため、移転を決めた。
2ヶ月で解体し、瓦や柱、床のタイルなどは佐伯区の市有地で保管する。
周りを囲むコンクリート製の壁は撤去する。
費用はスタジアムの建設費256億9,600万円に含まれ、サッカースタジアム等整備事業を請け負った大成・フジタ・広成・東畑・EDI・復建・あい・シーケィ共同企業体が行う。』というような内容でした。21.07.18.追記 |
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14.07.09.更新 05.03.15裕・編集 |