(中央公園)埋蔵文化財発掘調査

  中区基町の中央公園のサッカースタジアム建設予定地で行われている「埋蔵文化財発掘調査」をとりあげました。
※発掘場所は、1880(明治13)年発足した輜重兵第五小隊(後に拡張・改称した)施設などの跡でした。
※1945(昭和20)年8月6日被爆当時は“中国軍管区輜重兵補充隊”としての被爆遺構が発掘されました。
*〔この発掘時に発掘されるものではありませんが〕建設予定地に建立されていた記念碑やモニュメントが既に撤去されていたものがあり、移設予定との報道がありましたが、まだ市による建設地全体での記念碑等の移設計画案は発表されていませんのでこの頁で取り上げています。
広島市市民局文化スポーツ部文化振興課の資料によると
発掘作業開始日:2020(令和2)年8月3日
発掘調査については、測量や草木の伐採、調査現場周辺へのガードフェンス、仮設事務所等の設置などの準備作業を行い、 重機による地表面の掘削を行った後、地下の遺構の状況等を確認する調査を経て着手する予定にしています。
調査範囲(下図面)

都市整備局緑化推進部公園整備課・サッカースタジアム計画案での発掘範囲図
2021年6月15日中國新聞に記事によると。
『サッカースタジアム建設予定地の中央公園広場で進めている発掘調査で、旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)」施設の被爆遺構が見つかったことが6月14 日分かった。
広島城西側の広大な敷地に厩舎や兵舎などがあったが、米軍の原爆投下で壊滅。多くの兵士が被爆死した。市内の被爆遺構の発掘例としては過去最大級となる。
市は昨(2020)年、建設工事で地下遺構が失われる前に現存状況を調べ、記録を残すための発掘調査を始めた。対象エリアは約14,000u。市から委託を受けた市文化財団などが今春から、被爆当時の地層を広く掘り出し、その大半から建物の基礎や石畳、水路などが相次ぎ出土した。
関係者によると、米軍が原爆投下前の1945(昭和20)年7月に撮った航空写真などを参考に輜重隊の遺構だと確認。戦地で軍需品を運ぶための軍馬を飼っていた厩舎や水を与える水槽の跡などとみられる。軍隊生活を伝える鉄兜や軍用食器もあった。輜重隊の兵営は現在の中央公園ファミリープールから中央公園広場西側にかけて広がっていた。厩舎のほか、輸送用自動車を収める車廠(しゃしょう)、兵舎、弾薬庫など約30施設が立ち並び、戦時中は約千人が配属された。爆心地から1,000m以内で、原爆投下により一帯は全壊全焼。400人以上が犠牲になったとされる。
跡地は戦後すぐに住宅用地となり、旧厚生省所管の住宅営団などが戦災者のための簡易住宅を次々と建てた。当時、焼け跡を十分に整地する前に建設を急いだことが、今回「想定以上」(関係者)に大規模な被爆遺構が確認された背景にあるとみられる。
広島市は明治期以降「軍都」として発展し、軍事施設が集まった広島城と周辺には被爆建物の中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室、同)などが残っている。
市は当初、今月にも市民への現地説明会を開く検討をしていたが、新型コロナウイルスの感染拡大を理由に見送った。代替策を検討中という。
発掘調査は当初予定通り、来(2022)年3月末までの計画で、サカスタの建設スケジュールへの影響は現時点ではないとみられる。
※中国軍管区輜重兵補充隊とは、
馬や自動車で、武器弾薬や食糧の運搬を担う部隊で、隊員はここで訓練後に戦地に赴いた。
広島城西側に輜重兵第五小隊として1880(明治13)年に発足。その後に拡張や改称をした。
「広島輜重兵隊史」(1973年刊)は、原爆の被爆死・行方不明者は計423人、負傷者は計343人に上ったとしている。』
今(2021)年7月25日中國新聞に「軍都・被爆…歴史触れる サカスタ遺構説明会【ヒロシマの空白】証しを残す」という記事によると。
『2021年7月24日サッカースタジアム建設予定地の中央公園広場の発掘調査で見つかった旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重兵補充隊(輜重隊)」施設の被爆遺構で、広島市は、市民たち向けの現地説明会を初めて開いた。事前に申し込んだ64人が、軍都の姿や原爆投下による壊滅の歴史が刻まれた遺構を確認した。
公開したのは、戦地で軍需品の輸送を担う軍馬を飼っていた厩舎や馬の水飲み場が出土した発掘現場の東側エリア。市からの委託で調査している発掘業者の担当者が、厩舎の跡で馬をつなぐための角柱などが確認されたと紹介した。
市によると、この日の説明会(2回定員計60人)と7月25日に市施設で開く報告会(定員50人)には計208通の参加希望があり、説明会は定員を増やした。市文化振興課は「どちらにも参加できなかった市民のため、市のホームページなどでの遺構の紹介を検討する」としている。
遺構は一部を切り取って保存する方向となっている。』
中央公園広場がサッカースタジアム建設地に決定し、スタジアム建設前に発掘調査をするというニュースを見聞きしました。
そこには、記念碑やモニュメントが建立されていることから撤去することになるだろうから頁を編集している記念碑などだけでも撮影しておこうと思ったのです。
2020年10月16日に立寄ったのですが、時期既に遅く仮囲いが設置され発掘作業が始まっていました。
発掘調査で“輜重兵第五聯隊跡の被爆遺構が確認されたと報道で知りました。市では発掘調査の結果を再現しようという計画もありますが現場でとはスタジアム建設で出来ないと云うことで別の場所を考えているようですが。

都市整備局緑化推進部公園整備課・サッカースタジアム計画案でのモニュメント等配置図
1)堀川 6)時計塔 11)飛躍(噴水)
2)渝華園 7)風と花・像(噴水) 12)加藤友三郎・像
3)緑の羽根の碑 8)広高の森・鯉城の森 13)ヒロシマレクイエム・碑
4)大田洋子文学碑 9)ビオトープ C耐震性貯水槽
5)針のめぐみ・像 10)広高の森記念碑 D(災害)マンホールトイレ
市役所の資料(サッカースタジアム計画案)をみると“撤去移設などが必要なモニュメントなどの配置図”がありましたが、対象物全部を移築するとは謳っていないので撤去されたままになる記念碑なども出てくるのだろうと思いました。
21.10.20.裕・記編集

20.10.16撮影
広島市中区基町  中央公園広場

20.10.16撮影
 (≒北西方向をみました)

20.10.16撮影

20.10.16撮影
北方向をみました(高層ビル;基町クレド、円形屋根:グリーンアリーナ)

20.10.16撮影

20.10.16撮影
発掘作業の人たちがみえました

20.10.16撮影
(中央部分は残土置き場になっているようです)



「軍都・廣島関連施設戦跡など」編



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馬碑(輜重兵第五聯隊跡)





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