(軍用鉄道)宇品線跡
  宇品線があることは知っていましたが故郷広島に帰ってきた時は既に貨物しかない時代で撮影さえしていませんでした。
2003年宇品駅跡から海岸通り、大河(亡きオヤジの故郷)から霞町当りまでは路線跡が解り易くサイクリングでなぞってみました。しかし、国道2号線から段原当りでわからなくなり今後の探訪として残りました。
前(2003年)回横を通ったにもかかわらず旧丹那駅附近のモニュメントを見過していましたので、今(2004年)回は撮影しました。
それから、前回からの続き国道2号線から北(上り方面)の南段原駅跡を撮影しました。また、広島駅に0番(旧宇品線)ホームの残り香を訪ねてみました。また、タチアオイ約2000本が植えられている路線跡は花の時期を過ぎていましたので次回以降の撮影の楽しみということにしました。
現在の平和橋は宇品線の残り香は既にありませんが、2005年平和橋の処から以前訪れた段原南第五公園までをみました。
2008年(段原中学校校門横の)宇品線記念碑を編集し、また宇品東小学校でみた宇品駅のモニュメントを編集しましたがこの頁に追加ではごちゃつきますので別頁で編集しました。
2009年平和橋から段原日出町方向をみると、宇品線跡はすっかり様変わりしていました。また、宇品駅附近も整備され、この頁で掲載している宇品線プラットフォームは撤去され、フェンスを越えなければ近くにいけなかった原爆被災説明板も周辺が整備されています。
11.10.21追記  05.05.03追記    03.08.09裕・記編集

04.06.12撮影

04.06.12撮影

04.06.12撮影
旧宇品線0番ホームの名残が 線路は撤去されたその跡地 陸橋から旧0番ホーム方向を見る

05.02.17撮影

05.02.17撮影

05.02.17撮影
段原4丁目附近から平和橋方面を見る 再開発用地標示板 段原山崎町附近から段原南第五公園方面をみる

04.06.28撮影

04.06.28撮影

04.06.28撮影

04.06.28撮影
南段原駅跡 「宇品線広場」と名付けられた
段原南第五公園
警報機・遮断機・車止め付き線路・短いホームのモニュメント 旧丹那駅附近に短いホームがモニュメントとして残されている

03.07.28撮影
旧国鉄宇品線下大河駅跡
宇品線駅
キロ 駅名
0.0 広  島
1.2 大須口
1.8 南段原
2.4 上大河
3.3 下大河
3.8 丹  那
5.9 宇  品
駅名は1972(昭和47)年当時

03.07.28撮影
線路跡

03.07.28撮影
線路跡

03.07.21撮影

03.07.21撮影
旧宇品駅のポイント
(宇品波止場公園内に保存)
宇品線説明板
(宇品波止場公園内に設置)
※1894.年8月1日 「日清戦争」宣戦布告  1914年第一次世界大戦始まる
宇品線略歴史
1894 明治27年6月 山陽鉄道廣島まで開通
1894 明治27年8月 20日廣島驛から宇品まで軍用鉄道として敷設
(日清戦争にと17日間の突貫工事であったそうです)
1897 明治30年5月 山陽鉄道が宇品線として旅客営業開始
1906 明治39年12月 "鉄道国有法"により鉄道省に移管される
1915 大正4年4月 中国(青島)出兵のために再び軍事専用となる
1930 昭和5年12月 芸備鉄道が旅客・貨物営業再開
1937 昭和12年7月 芸備鉄道から日本国有鉄道に移行
1966 昭和41年12月 上大河駅‐宇品駅間の旅客営業を廃止
1972 昭和47年4月 広島駅‐上大河駅間の旅客営業を廃止
(宇品四者協定線として貨物営業は存続)
1986 昭和61年9月 貨物輸送も廃止になり、廃線となる

03.07.28撮影
現在南道路の中に残る宇品駅プラットフォーム跡 広島陸軍糧秣支廠倉庫(原爆被災説明板の写真を使用しました)

03.07.21撮影

03.07.21撮影

03.07.28撮影
宇品駅・広島陸軍糧秣支廠倉庫壁の保存 広島陸軍糧秣支廠倉庫の壁一部分を保存 広島陸軍糧秣支廠倉庫・原爆被災説明板
資料は‘広島市南区役発行旧国鉄宇品線の跡’他を参考にしました



「乗り物」編



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(宇品線モニュメント関連頁)
(段原中学校の)宇品線記念碑
(宇品東小学校の)宇品駅モニュメン


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