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(南区)松原町の広島駅から(南区)宇品町の宇品駅を結んでいた宇品線についてこの頁で取り上げました。
※1894(明治27)年8月21日陸軍省の委託で山陽鉄道が広島駅〜宇品駅間に軍用線として敷設しました。
※1972(昭和47)年4月1日広島駅〜上大河駅間が廃止され、国鉄宇品線としては全廃しました。
※1986(昭和61)年10月1日東広島駅〜宇品貨物取扱所間(宇品四者協定線)の貨物列車も廃止されました。 |
キロ |
駅名 |
0.0 |
広 島 |
1.2 |
大須口 |
1.8 |
南段原 |
2.4 |
上大河 |
3.3 |
下大河 |
3.8 |
丹 那 |
5.9 |
宇 品 |
1894.年8月1日“日清戦争”宣戦布告
1914年第一次世界大戦始まる |
1894 |
明治27年6月 |
山陽鉄道廣島まで開通 |
1894 |
明治27年8月 |
20日廣島驛から宇品まで軍用鉄道として敷設
(日清戦争にと17日間の突貫工事であったそうです) |
1897 |
明治30年5月 |
山陽鉄道が宇品線として旅客営業開始 |
1906 |
明治39年12月 |
"鉄道国有法"により鉄道省に移管される |
1915 |
大正4年4月 |
中国(青島)出兵のために再び軍事専用となる |
1930 |
昭和5年12月 |
芸備鉄道が旅客・貨物営業再開 |
1937 |
昭和12年7月 |
芸備鉄道から日本国有鉄道に移行 |
1966 |
昭和41年12月 |
上大河駅‐宇品駅間の旅客営業を廃止 |
1972 |
昭和47年4月 |
広島駅‐上大河駅間の旅客営業を廃止
(宇品四者協定線として貨物営業は存続) |
1986 |
昭和61年9月 |
貨物輸送も廃止になり、廃線となる |
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宇品線があることは知っていましたが故郷広島に帰ってきた1982(昭和57)年には既に貨物しかない時代とはいえ撮影さえしていませんでした。
2003年宇品駅跡から海岸通り、大河(亡きオヤジの故郷)から霞町当りまでは路線跡が解り易くサイクリングでなぞってみました。しかし、国道2号線から段原当りでわからなくなり今後の探訪として残りました。 |
前(2003年)回横を通ったにもかかわらず旧丹那駅附近のモニュメントを見過していましたので、
今(2004年)回は撮影しました。
それから、前回からの続き国道2号線から北(上り方面)の南段原駅跡を撮影しました。
また、広島駅に0番(旧宇品線)ホームの残り香を訪ねてみました。
また、タチアオイ約2000本が植えられている路線跡は花の時期を過ぎていましたので次回以降の撮影の楽しみということにしました。 |
現在の平和橋は宇品線の残り香は既にありませんが、2005年平和橋の処から以前訪れた段原南第五公園までをみました。 |
2008年(段原中学校校門横の)宇品線記念碑を編集し、また宇品東小学校でみた宇品駅のモニュメントを編集しましたがこの頁に追加ではごちゃつきますので別頁で編集しました。
2009年平和橋から段原日出町方向をみると、宇品線跡はすっかり様変わりしていました。また、宇品駅附近も整備され、この頁で掲載している宇品線プラットフォームは撤去され、フェンスを越えなければ近くにいけなかった原爆被災説明板も周辺が整備されています。 |
11.10.21更新 03.08.09裕・記編集 |