広島陸軍糧秣支廠倉庫壁保存

  南区宇品海岸に残っている「旧宇品線宇品駅のプラットホーム」です。
2004(平成16)年5月になって宇品駅の残っていたプラットホームの石積みが、
                                       南道路整備ということで撤去されました。

※また、モニュメントとしてわずかに残されている「広島陸軍糧秣支廠倉庫壁保存」も取り上げています。
※そして、広島陸軍糧秣支廠倉庫・原爆被災説明板も取り上げています。
最初にみた時は何かなと思ったのですそれほどとっぴな?保存の仕方だなと思ったのです。
広島陸軍糧秣支廠倉庫壁の一部が保存されている根際に原爆被災説明板が設置されていました。
最初に行った時は、草ぼうぼうでありましたが1週間ほどあとに宇品駅のプラットホーム跡を撮影に行った時は草が刈られていましたので、ちゃんと管理されていると実感したのでした。
宇品駅のプラットフォーム560mと長く当時日本一だったそうです。石積みが残されています(いました)。
04.07.14更新   03.08.09裕・記編集

03.07.21撮影
広島市南区宇品海岸三丁目11 (広島南道路横広島海員会館北側)

03.07.28撮影
宇品駅・広島陸軍糧秣支廠倉庫壁の保存

03.07.28撮影
現在南道路の中に残る宇品駅プラットフォーム跡  (プラットフォーム560mと長く当時日本一だったそうです)
広島陸軍糧秣支廠倉庫・原爆被災説明板

03.07.28撮影
広島陸軍糧秣支廠倉庫・原爆被災説明板
爆心地から約4600m
  陸軍糧秣支廠は、戦時において必要な兵隊の食糧や軍馬の飼料を調達、補給するために設置されました。1894(明治27)年に日清戦争が始まると、当時山陽鉄道の西端であった広島駅とここ宇品を結ぶ軍用鉄道を二週間あまりの突貫工事により完成させ、宇品港は第二次世界大戦が終結するまで陸軍の海外への輸送基地となりました。この倉庫は、1910(明治43)年頃、軍需物資を保管するため宇品駅のプラットフォームに沿ってレンガ造りで建てられました。1945(昭和20)年8月6日の原爆による被害は、爆心地から離れていたため、軽微にとどまり、傷ついた大勢の被爆者はこの付近の陸軍の関連施設に収容され、手当てを受けました。戦後、日本通運株式会社に払い下げられ倉庫として利用されてきましたが、1997(平成9)年、広島南道路の整備にあたり、被爆建物として歴史を後世に伝えるため、その一部をモニュメントとして保存するものです。
旧広島陸軍糧秣支廠 1985(昭和60)年4月 井手三千男氏撮影 日本通運株式会社 寄贈



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