千田関係資料
※1
1880.4.6藤井県令病気で依頼免で千田貞暁発令、4.27広島着任
※2
明治17年2月
広島県が87,108円391を示し人造石考案者である服部長七と工事の請負を決定した。
※3
23,047.530 深澪埋築費
3,808.800 深澪鎖堤假堰費
49,040.559 新開築調費
3,730.374 工場築調費
72,448.417 宅地築調費
27,539.793 道路橋梁費
37,916.689 桟橋及海岸道路 雁木築調費
17,432.238 樋門及堤防増築費
30,307.740 被害修繕費
24,772.367 借入金利息外
10,098.231 委託金外
300,142.738  支払いtotal
31,626.397 寄附金
49,945.994 授産金
3,808.800 広島区費
59,365.000 国庫補助金
114,521.266 宅地売却費
35,000.000 桟橋売却費
10,31/.553 工事委託金外
304,585.101  収入total

1886.9.17暴風により築港工事大破する。
※4
築港工事完了後発表された『宇品築港工費清算書』(上記表)で見るとわかるように築港工事としては赤字ではなく黒字であったので築港工事の赤字工事に対する左遷ではなかったと思いますが、。
千田知事が築港工事不足金として第2回国庫補助申請をした35,603円(補助金は許可されたが)に対し、『国庫補助を仰ぐ築港計画は粗漏なりとして罰棒・年棒十二分の一を科せられた』ことによるのではないのでしょうか。
参考資料:宇品築港物語 竹島浅吉氏著 平成7年溪水社発行



( 千田廟公園 )
( 宇品波止場公園 )
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