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南区宇品海岸に使用されず残されている「旧広島港事務所」です。
※1945(昭和20)年8月6日(月)被爆当時は宇品警察署の庁舎でした。 |
資料を見ていたらこの旧広島港湾事務所が被爆建物として紹介がありました。
原爆の爆風で屋根などが浮き上がり増築部分は梁が折れるなどの被害を受けたそうです。 |
旧広島港湾事務所は、木造2階建、建築面積189.13u。延べ床面積360.80u。
1993(平成5)年広島市の被爆建物に登録されました。
欧州ルネッサンス様式を日本的に消化しているといわれている公共建築物のひとつです.。 |
爆心地より≒4,640m (被爆当寺町名:宇品町) |
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
1909 |
明治42年 |
広島水上警察署の新庁舎として建設され、庁舎内には広島警察宇品分署も置かれました。 |
1937 |
昭和12年 |
水上警察署が廃止され業務は宇品警察署が引継ぐ、
1938年増築と模様替えが行われました。
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1945 |
昭和20年 |
8月6日 被爆当時は宇品警察署の庁舎でした。 |
1965 |
昭和40年 |
〜1981(昭和56)年広島県広島港湾事務所として使用されました。 |
1981 |
昭和56年 |
〜1999(平成11)書庫として活用。 |
2000 |
平成12年 |
〜空建物となっています。 |
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2012年10月中國新聞報道で、
『広島県が商業施設などとして活用することを検討している事が分かった。保存しながらの利用を条件に、(耐震化や改修をした上で)出店を希望する事業者を公募する。』ということでした。 |
※ |
2014年6月中國新聞報道で、
『2012年10月の県議会建設委員会で提起し、耐震化や改修をした上で出店者を公募する予定だった。
財源の一部と見込んでいた国の地域自主戦略交付金が2012年末の政権交代で打ち切られ、財源確保の見通しが立たなくなり、2013年3月に断念した。
建物は、天井や壁が剥がれるなど老朽化が進み、広島県は内部に突っ張り棒を据え、外側を金網で囲って近づけないようにしている。
広島県土木総務課は「外観のみの公開にとどめて改修費を抑え、長期の保存を目指すのが現実的ではないか。県民の理解が得られるように検討したい。」』と報道していました。 |
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宇品に木造建築が残っていることは知っていましたが、どういう歴史があるものかは知りませんでした。
「ひろしま県民文化百選」建物編で選ばれている事を知り一度撮影に行かなくてはとは思っていたのです。
基礎立ち上がり部分にある換気孔がアーチ型をしている処などをみながら(わたしは)ディテールにも拘った明治の建築技術者に思いを馳せたのです。 |
人が住んでいない(使用していない)建物は痛みが速いといわれていますが、朽ち果てるのを座して待つ今の状況を何とかできないものかと思うのですが、耐震的なものもあり、時代の流れにのみ込まれ消えていくのでしょうね。 |
宇品海岸3丁目の県営の空き倉庫やその跡地ではカフェやインテリアショップ、結婚式場が相次いで開店。広島県は2011年9月この一帯を「宇品デポルトピア」と名付け、アピールしているので、この空家の旧広島港湾事務所が商業施設などとして需要が見込めると判断し、保存と活用の両立を検討することにしたという報道でしたので期待していたのですが、その計画が頓挫したことも中國新聞報道で知りました。
解体という最終手段ではなく少なくとも外観保存ということになるのでしょうかね。 |
2014年新聞報道で、『外観のみにとどめて見学できるように補修する』とありましたので、被爆70年の21015年には広島県は外観を補修しているのではと立ち寄ってみましたが、外観補修はなされていませんでした。広島県設置の説明板が、そして建物周りをネットフェンスが設置されていました。
2015年撮影画像は(別頁の)詳細の頁に加え更新しました。また、説明板の頁は別頁で編集しましたので、下段のリンクから見ていただければと思います。 |
17.06.16.更新 03.08.09裕・記編集 |