千田廟公園

  南区宇品御幸に設置されている「千田廟公園」です。
※国交省の資料によると、公園面積は2,793uあるそうです。
千田町のその町名が千田貞暁に由来していることは何となくは知っていました。
この公園の近くで仕事をしたことがありここに銅像があることも知っていましたが、千田公園なのかと思っていたのです。千田公園は別の場所(中区千田町3)にあり、ここが千田廟公園であることは恥ずかしいことに最近知ったのです。
千田貞暁男爵についても、宇品築港の予算オーバーなどにより新潟県知事に左遷された事も今回調べて知ったのです。無用の長物とまでいわれた宇品港が日清戦争をキッカケに軍都廣島を担って行くことを「一地方の利益だけではなく陸海軍の便益になる」と云ったという千田自身でさえ考えてはいなかった?軍港から国際貿易港として発展が望まれる宇品港(現・広島港)の関連として訪れたのです。
公園内の石碑をそれぞれ独立した頁にしました。
御幸松碑が宇品海岸(もともとの位置近くに)に移設されていまは公園内にはありません。
12.04.30更新   03.10.25裕・記編集

03.10.09撮影

03.10.09撮影

03.10.09撮影
案内図 公園入口 御幸松碑 宇品新開地記念碑
広島市南区宇品御幸1丁目8 12.04.30追記 08.03.09更新

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03.10.09撮影

03.10.09撮影
千田廟社 千田廟 千田廟案内板 正岡子規句碑
08.03.09更新

03.10.09撮影

03.10.09撮影

03.10.09撮影

10.12.04.撮影
千田貞暁・銅像 千田貞暁・銅像 千田貞暁・銅像の由来 958ニ等水準点
08.03.09更新 11.04.21掲載
千田貞暁(せんだ さだあき)
天保7(1836)年 薩摩藩士傳治の長子に生る。
戊辰戦争に従軍。
明治13(1880)年 広島県令(明治19年から知事)となり、県民の批判、漁民の反対の中
明治22(1889)年 宇品港をようやく完成させたものの、その年新潟県知事に「左遷」※4される。
以後和歌山、愛知、京都、宮崎の知事をつとめた。
明治31(1898)年2月26日 授爵、男爵{=維新後に華族に列した家、五等爵(公・侯・伯・子・男)の第五位}
明治37(1904)年 貴族院議員
宇品築港の功績で勲三等旭日章を受ける。
明治41(1908)年 肺炎のためなくなった。
死後大正4(1915)年千田貞暁の銅像、大正14(1925)年千田廟(千田神社)建立。
敬称は略しました



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