(千田廟公園)正岡子規句碑

  南区宇品御幸の千田廟公園に建立されている「正岡子規句碑」です。


















(石碑の句)
明治28(1895)年3月、日清戦争に従軍記者として派遣される時、宇品港に立寄り4月10日出港までの20日程広島に滞在し、4月に詠んだ句だそうです。
歌人・正岡子規(1867-1902)のことは昔々教科書に出てきて名前は知っていましたが、日清戦争の従軍記者として広島の地にやって来て、宇品港より中国(清)に行ったことを(わたしが)知ったのはこの句碑を調べた事からでした。
句碑の文字をわたしは読めませんでしたので資料を調べました。
「長閑さや 畑をへだてて 町一つ」 「春風や 城あらわるる 松の上」 「町と村と 其のあいなかの 春の水」 「出陣や 桜見ながら 宇品まで」などの句も詠んだそうです。
2019年になって神奈川県のHさんにこの碑に刻まれた文字について次の事を教えていただきました。
『全部漢字で表記すると「行かば我」=「行可婆我」、「筆の花散る」=「筆能花散留」、「處まで」=「處■■」。
「まで」は私には読めませんでした。「迄」では画数と字の大きさが合いません。
「ま」は、末、満、万、間のくずし字を使うことがあります。「で」は、天、手、亭のくずし字を使うことがあります。いずれも石碑の表記に合わないと感じました。
また「ば」に「婆」のくずし字を使うのを初めて拝見しました。まだまだ私はくずし字を読めるとは言い難いです』
と謙遜されていますが、わたしには出だしの“行”の字から読めなかったのですから。 19.12.08.追記
 08.03.09更新    03.10.25裕・編集

03.10.09.撮影
 広島市南区宇品御幸1-8 (千田廟公園)

05.11.19.撮影

07.09.19.撮影

07.09.19.撮影
正岡子規(まさおかしき)  1867-1902(慶応3年-明治35年)
俳人・歌人、本名常規。松山藩士の家で生る。
“万葉集”を尊重し写生の方法をとなえ、俳句・短歌革新の道を開いた。俳誌‘ホトトギス’により日本派の新俳句を推進、「写生文」を提唱。また根岸短歌会を開きました。句集『寒山落木』、歌集『竹の里歌』、俳論『獺祭書屋だつさいしょおく俳話』(明治26年=1893年)、歌論『歌よみに与ふる書』(明治31年)、随筆『墨汁一滴』(明治34年)『病牀六尺』(明治35年=1902年)など



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