えばやま こうえん
江波山公園

  中区江波二本松から江波南のかけて設置されている「江波山公園」です。
国交省の資料によると公園面積は33,286uもある近隣公園だそうです。
江波山公園は、1903(明治36)年に広島市として初の都市公園(比治山公園、江波山公園)として開設されました。
もともとは、広島湾に浮かぶ江波島の一部でしたが、毛利輝元(1553-1625)による広島城築城以来沖に沖にと埋立てられて現在のように陸続きとなっています。
江波は元々「江波島」という太田川デルタに点在する島の一つでした。
江戸時代から埋立が進み1811(文化8)年丸子橋で陸続きとなりました。その当時江波島は「江波山(下山)」と「皿山(上山)」と連なっていました。その下山、上山の土砂を埋立に活用し現代に至っています。
江波山は高さ37,6mで、江波山公園(開設当時・江波公園)として1898(明治31)年比治山公園とともに広島市の公園とされ、市民への遊覧許可は1903(明治36)年でした。しかし、公園内への道路が整備されたのは1910(明治43)年でした。

(説明板掲載の写真を使用しています)
江波山といえば1934 (昭和9)年に建築され現在も被爆の傷跡を残している広島測候所(後の広島地方気象台)の本庁舎、現在は1992(平成4)年江波山気象館(博物館)として開館した建物を一番に思い浮かべます。
次ぎに5〜13枚の花びらをつけることから「ヒロシマエバヤマザクラ」と命名されたヤマザクラ(通常は5枚なのに対して)です。2007年になりましたが桜咲く季節に訪れ撮影し追記しました。
今(2005年)回の主目的は、シュモー会館と 江波山に建立されているという原爆関連の慰霊碑「母子愛」碑(江波山公園・展望台)を訪ねることだったのですが、江波山公園にも立ち寄る事になりましたので、公園も撮影しこの頁を編集しました。
2008年交流ウォーク関連で何度か訪ねるうちに、江波南1-26で「公園道路」碑を見つけそのいわれを調べているときに、『1903(明治36)年に広島市として初の都市公園(比治山公園、江波山公園)が開設したことがわかりました。公園は開設したものの公園に繋がる道路の不備があったので1910(明治43)年に整備したことを記念してその石碑が建立されたのではないだろうかと(わたしは)考えたのです』。また、この江波山公園を開設したのが(第2代第4、5代広島市長であった)伴資健ということも併せてわかりました。
2015年久しぶりに「母子愛」碑を撮影に来ましたので、公園に「Forever ほ〜江波!の会」設置の説明板を撮影し、この頁に加えましたので、掲載画像も見直し、頁を再編集しました。
15.08.30.再編集     05.04.15裕・記編集

05.02.25.撮影
広島市中区江波二本松〜江波南

05.02.25.撮影
何かなとおもいました、風車*を模したトイレでした。          *気象に関わる“風速計”でした

07.04.08.撮影
2007年訪れた時、桜は満開を向かえ花見の人が多く訪れていました

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影

05.02.25.撮影

05.02.25.撮影
「母子愛」碑 廣島工業港   魚介藻類慰霊碑
江波山公園入口にある
YOU & I 広場(ユーアイひろば)
江波山公園入口広場が「YOU & I 広場」という憩いの場となっています。
子どもたちと一緒に植えた枝垂れ桜やクロガネモチが、これからの江波を見守っています。

15.04.18.撮影
YOU & I 広場  (満開の枝垂れ桜でした)
かっては鵜が飛来!
鵜の崎(うのさき)
江波山の西端は、鵜の崎と呼ばれ、かってはたくさんの鵜が飛来し、夜には切串(現在・江田島市)に帰っていたそうです。
現在、鵜の崎の南側は埋立てられていますが、今でも、厳島、似島(安芸小富士)、瀬戸内海の島々を眺める事ができます。

(説明板掲載の写真を使用しています)

05.02.25.撮影
マンションに隠れながらでしたが、似島・安芸小富士278.1mがみえます

05.02.25.撮影



「広島の公園」編



広島ぶらり散歩へ
江波山公園
ヒロシマエバヤマザクラ
広島市江波山気象館
母子愛」碑
廣島工業港・魚介藻類慰霊碑
(公園内)公衆便所
(江波南の)公園道路・碑
江波トンネル
江波皿山公園


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