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中区千田町の千田第一公園に建立されている「山中高等女學校址」碑です。 |
1887 |
明治20年 |
山中正雄氏(弁護士)が私立広島高等女学校を広島市天神町に設立 |
1902 |
明治35年 |
広島市国泰寺町(現在の千田町二丁目)に移る〔明治22年沼田郡国泰寺村から広島市国泰寺町〕 |
1908 |
明治41年 |
4月1日 私立広島高等女学校を私立山中高等女学校と改称。 |
1919 |
大正 8年 |
9月5日 私立山中高等女学校を山中高等女学校と改称 |
1944 |
昭和19年 |
三代目理事長中山トシによって、「山中」の名を存続させることを条件に国に寄付された |
1945 |
昭和20年 |
4月1日 山中高等女学校は広島女子高等師範学校附属山中高等女学校となる |
1951 |
昭和26年 |
3月31日 教育改革により65年にわたる歴史に幕を閉じた |
1957 |
昭和32年 |
旧山中高女跡地に建設された女子寮は、「山中寮」と命名された |
1996 |
平成 8年 |
広島大学の統合移転にともない女子寮「山中寮」廃止 |
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広島駅裏にあった第2総軍司令部の建物であの日(1945年8月6日午前8時15分)被爆したお袋(1912年生まれ)がこの地で学んだ山中高女出身校だと知ったのは(わたし自身の人生の後半?だったのです)。
自分中心でお袋のことなど考えもしなかった親不孝の典型で過ごしてきたことをいまさら反省しても仕方ないことではありますが、ボケるという病になったお袋にせめてもの親孝行がどういう形でできるのかと(わたしは)考える日々なのです。
2009年「廃墟にフィルムを回す」という平成20年第2回企画展をみたあと、(別の)展示室4に立寄り観た画像を撮影したものを追記しました、だれもいない展示室で展示の画像(海水浴場に行っているものなど)に近づきお袋を探しましたがわかりませんでした。展示の学校全体図を撮影させてもらいました、お袋にも見せてやろうかと。
石碑の側面、裏面を撮影していませんでしたので、2009年6月交流ウォークのときに撮影しました。 |
2019年(お袋を喪ってからはじめて)訪ねてみました。この碑の前にたたずみお袋が学んだこの地をしのびました。 |
20.01.30更新 03.12.08裕・編集 |
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03.11.22.撮影 |
広島市中区千田町2-5-13 千田第一公園 |
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廣島女子高等師範学校同附属山中高等女學校 |
(建立者)橘香會 |
(建立)平成3(1991)年2月吉日 |
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19.04.18.撮影 |
千田第一公園南側の一角に建立されています |
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19.04.18.撮影 |
正面(公園側から) |
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19.04.18.撮影 |
裏面(公園外から) |
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昭和14年3月18日陸軍運輸部検定済大廣島市地図より |
現在の広島赤十字病院とほぼ同じ位置 市内電車現在とほぼ同じ 廣島文理科大学(現在広島大学跡地)
山中高等女学校(現在千田第一公園)
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09.04.18(広島平和記念資料館にて)撮影 |
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西坊義信氏が提供された、1930(昭和5)年代後半ごろの山中高等女学校全体図
わたしのお袋もこの校舎で学んだのかと(平和記念資料館・東館BF1F展示室4に展示されていたものをわたしがフラッシュを焚かずに撮影したものです)他にも海水浴場に行った写真もありましたが個人情報のこともあるかとそれは撮影できませんでした。 |
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