キリンビヤホール被爆タイルモニュメント

  中区本通の広島パルコ外壁に設置されている「キリンビヤホール被爆タイルモニュメント」です。
キリンビヤホール (爆心地から≒670m
※  キリンビヤホールは、1938(昭和13)年6月郊外(いまの府中町)に建設されたビール工場とともにオープンしました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分原子爆弾の炸裂によりにぎやかだった周辺の町並みはすべて焼失し、この建物の外郭だけが残りました。
被爆の惨禍を後世に伝えていくため、外壁のタイルの一部分をここに移設して保存します。
元第15銀行の建物を改造した福屋十銭でストアあったが1937(昭和12)年3月(物価の上昇で仕入れが困難になり)閉店したことから1938(昭和13)年5月キリンビヤホール、RC造地上3階、地下1階が竣工しました。
1945(昭和20)年8月6日(月)定休日で建物内には誰もいなかったそうです。
原爆によって窓は吹き飛ばされ約1時間後に東側から類焼地階を除き全焼したが、被害が比較的軽微だったことから産業奨励館に入っていた広島県地方木材が仮事務所として被爆1週間後から秋頃まで営業し。
1946(昭和21)年12月26日キリンビヤホールは営業再開、数次の改修を経て1984(昭和59)年キリンフォーラムと名前を変えました。
1974(昭和49)年に決定された第1種市街地再開発事業により、1991(平成3)年12月解体工事で姿を消しました。
1994(平成6)年4月パルコ広島店としてオープンした建物の西側外壁にモニュメントとしてタイルの一部が残されたものです。
横1m×縦1.5mのタイルの下に(米軍撮影の)被爆後のキリンビヤホールの写真と(上記:日本語と英語でも)碑文が刻込まれたステンレス板が設置されているのですが、鏡面仕上げのため通行人などが写っていてわたしの画像ではよくわかりません、近くを通られたときは是非足を止め覗き込んでいただければと・・・・
06.06.30裕・編集

06.05.11.撮影

06.05.11.撮影
広島市中区本通10-1  広島PARCO外壁

05.10.10.撮影
外壁に埋め込まれている被爆タイルのモニュメント

06.05.11.撮影
碑文(上記)と被爆後のキリンビヤホールの写真が焼き付けられたステンレス板



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