うねかんのんめん だいいちごう こふん
畝観音免第一号古墳
  安芸郡海田町畝にある「畝観音免第一古墳」です。
※日浦山南側標高約15mに位置しています。7世紀前半に作られた円墳です。
古墳は、3世紀末~7世紀にかけて、各地で盛んにつくられ、わが町附近(安芸郡海田町や広島市安芸区)でも、古墳が存在しています。
7世紀につくられた、畝観音免古墳は横穴式石室をもつ円墳で規模は、当時の広島湾岸では最大規模で、この地域に有力な豪族が存在していたことがわかると聞きますが、破壊が大きいいのが残念でなりません。
海田町指定史跡 畝観音免第一古墳    旧所在地:安芸郡海田町畝二丁目八七三-五
指定:昭和53(1978)年7月12日      昭和62(1987)年12月 海田町教育委員会
この古墳は、横穴式石室をもつ円墳で羨道部や天井石の大部分は破壊されていますが石室内部は比較的よく残っています。
石室の規模は、玄室が長さ5.8m、幅1.87m~2.1m、高さ2.1m~2.3m。羨道部現存の長さが2.3m、幅1.7mあり、その形態は羨道の狭くなる両袖式です。
石室の床面は、花崗岩風化の真砂土を基盤としていますが、玄室奥側には敷石がみられます。
遺物は、玄室中央部の両側壁沿いから須恵器と土師器、奥寄りの敷石の相田からは木棺の存在を推定させる鉄釘類が出土しました。出土した須恵器のうち杯類は、10cm弱の小型のものであり、葬送に際しての仮器として製作されたものと推定され、これらのことから7世紀前半から中葉にかけて築造された有力豪族の墓と思われます。
せんどう
羨道
墳墓の入り口から、棺を納める玄室に至るまでの道。えんどう。
すえき
須恵器
古墳時代中期から平安時代にかけて作られた土器。轆轤(ろくろ)成形し、登り窯(がま)で高温焼成した比較的硬質な灰黒色の土器。主に朝鮮からの渡来人が製作。
はじき
土師器
古墳時代から奈良・平安時代にかけて用いられた素焼き土器の総称。
赤色の素焼きで文様はない。弥生土器から発達したもの。
2003年ふるさと館を訪ねたときにこの古墳を撮影しました。2005年玄室の様子がわかりにくく改めて撮影しました。
残念ながらと云うべきかどうか?わが町附近には前方後円墳はありません。
2014年ふたたびみて撮影していました。2016年広島県内で一番大きな石室をもつ古墳「梅木平古墳」を見学したので。この古墳の保存状態、見学が限られたところからしかないことを思い、いまになりましたが頁を更新しました。
17.02.09.更新  03.02.13裕・記編集
  関連頁:畝観音免第二号古墳   上安井古墳

05.10.03撮影
広島県安芸郡海田町畝2-873~875

03.02.11撮影
横穴式の石室   (後ろの建物は海田・ふるさと館) 昭和57年6月建立

03.02.11撮影
観音免公園内は整備され埴輪の模型なども展示しています

14.07.05.撮影
もう少し近づいてみたいと思うのです

14.07.05.撮影
説明板がある処からは古墳の構成はみにくいのです



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