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西区大芝公園の大芝公園内に建立されている「戰役紀念碑」です。 |
この碑は戦死病歿者の霊を弔い且つ記念するため、大正4(1915)年7月建設の議、三篠町及び在郷軍人会の斡旋により一般の寄附で大正8(1919)年1月竣工して同(1919)年4月8日に除幕式が行われました。
明治10年役、日清、北清、日露の四戦役およびシベリア出征に旧三篠町より出征した従軍者並びに戦病死者など296名の氏名を刻しています。 |
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碑は高さ地上より2丈9尺、台石3間4尺、高さ1丈2尺、沓石高さ6尺、幅9尺、奥行6尺、総工費2,917円85銭だったそうで、碑文は元帝国在郷軍人会長だった寺内正武毅の筆になります。 |
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碑の創建時は堤防下にあって堤防が高かったので、公園を土盛りして堤防と同じ高さとなっていましたので現在は碑の創建当時とは景観が異なってしまっているそうです。 |
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※碑の資料は教育委員会発行「広島の石碑・心と形」を参考にしました。 |
寺内正毅(てらうち まさたけ)1852-1919 |
政治家。陸軍大将・元帥。長州藩出身。第一次桂内閣に入閣、以後陸相を歴任。
1910(明治43)年初代朝鮮総督。1916(大正5)年10月組閣して、1918(大正7)年8月シベリア出兵を断行、世論の批判を受け、米騒動により同1918年9月総辞職した(既に健康も害していた)。 |
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大芝公園の原爆慰霊碑を撮影に何度か訪ねていたのですが、慰霊碑は見つからなくてもこの戦役記念碑は木立に隠れるように建立されていますが、目立つ碑なのです。
ただ、台座が高いためにわたしにはこの碑文は読めませんでしたが、広島市教育委員会の冊子に建立の経緯などの紹介がありましたので、わかってきています。
2015年同じ大芝公園に建立の「大芝学区原爆慰霊碑」ヲ訪ねましたので、その時この碑も撮影していました。2018年になりましたが画像を加えこの頁を更新しました。 |
18.05.25.更新 05.07.08裕・記編集 |