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安芸郡海田町畝のふるさと館裏の観音免公園に海田町原爆被害者の会によって「被爆50周年記念碑」が建立されています。 |
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原爆被爆五十周年記念碑
海田町原爆被害者の会 |
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平成七(1995)年八月(建立) |
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広島原爆戦災誌によると
海田町は、爆心地から最短距離で≒6.2km、最長距離が≒11.7kmとあります。
『・・・海田町から8月5日まで一日約100人くらいの作業隊が広島市内竹屋町付近の建物疎開に出動していたが、8月6日は非番で出動せず、建物疎開作業隊としての犠牲はなかった。・・・・
当(1945年8月6日月曜日)日午前10時ごろから、翌日午前8時ごろまで、仁保町堀越・船越町を経て、徒歩やトラックで避難して来るものが絶えなかった。避難者はいずれも火傷・裂傷を負い、血まみれであった。・・・・』とあります。 |
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海田町の平和祈念碑(熊野神社前)の碑文を読めば200有余人の方々が原爆で亡くなったことがわかりました。
町内での直接的な原爆被害ではなく、学徒動員などで被爆した方や、被爆後の救護隊などでの入市被爆者などと思います。 |
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1889(明治22)年4月1日町村施行時、海田市町として単独町政。奥海田村として単独村政。
〔1945(昭和20)年8月6日被爆時には、海田市町と奥海田村でした〕
1952(昭和27)年6月1日奥海田村が町政施行で東海田町と改称。
1956(調和31)年9月30日海田市町+東海田町=海田町となり、現在(2015年)に至っています。 |
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2003年ここ(海田町)ふるさと館に来た時この石柱をみて撮影しました。
2007年になりましたがこの石柱の建立場所がわかるようにと撮影し、この頁を更新しました。 |
2014年に再び撮影していましたので、原爆戦災誌を読んだりして、この頁を2015年になりましたが再編集しました。 |
15.12.08.再編集 03.02.13裕・記編集 |