伊賀和志神楽団

  中区基町広島県立総合体育館で催されたフードフェスタ2003で
                             演目“八岐大蛇”を演じていた「伊賀和志神楽団」です。
神楽(かぐら)
  神前に奏される歌舞。
神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは神遊とも称していました。神楽の語源は、神座(かむくら)の約音とするのが定説だそうです。
(広島)県北では神楽が盛んで所謂石見神楽(旧舞)に対して動きが激しい新舞が多いのですが、演じられていた八岐大蛇も(大蛇の口から煙を出すなどの演出がある)新舞系統と思ったのです?・・・わたしは神楽をみると日本人でよかったな〜〜と思うのです。 
伊賀和志神楽団 広島県双三郡作木村
 藤井昭著「芸備地方のまつり」という本によると、
作木天満宮例祭の伊賀和志神楽という項目があり『所伝によると保元・平治の乱に敗れた武士がこの地(作木村)に来住し、都の生活を偲んで白拍子の舞を神楽に組み入れたもので、唄われる歌詞の中に「しづやしづしづの小田巻くり返し」や、「吉野山峯の白雪踏み分けて」など、その名残りを見ることができるという“鈴合わせ”を含む』とあります。
また、伊賀和志神楽団は古い歴史があり、(伊賀和志神楽は)約600年前に石見地方から伝えられたもので神楽団としての活動が始まったのは、江戸時代の終わり頃で、代々地区の有志により舞伝えられてきたそうで、1960(昭和35)年3月12日に「広島県無形民俗文化財」に指定されたそうです。
※平成16(2004)年4月1日より作木村は三次市に合併し三次市作木町になりました。
演目:八岐大蛇(やまたのおろち)
 八尾(はちび)の神霊の意。
記紀神話で、肥河(ひのかわ)の八岐大蛇は年ごとに一人ずつの娘を食い、いままたその大蛇がくると嘆いていた足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の夫婦に、最後の娘の奇稲田姫(くしなだひめ)を貢上させるが、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこの大蛇を酒槽(さかぶね)を用意させて退治します。そのとき、大蛇の尾の中ほどから神剣が現れ、天照大神に奉献されて三種の神器の一つとなったといわれています。
この伝承の本源は、出雲国須我川(すががわ)流域で行われていた豊饒祭の蛇神信仰にあり、その伝承はやがて新しい鉄文化を背景にもつ素戔嗚尊の伝承に吸収されて変質し、斬蛇剣伝承を加味して定着したものと考えられています。
わたしは、1995(平成7)年から翌(1996)年美土里町で携わった神楽殿イベント広場建設工事の関係で、間近に美土里町で神楽をみる機会を持つことが出来ました。そのような事で、神楽が日本人がもつ日本人としての心を揺さぶるものだと感じました
2003年フードフェスティバルに行った時に、その中の催しとして伊賀和志神楽団の神楽が県立体育館で催される事を知り、時間を待ってもみたいと思い、観覧したのです。
 03.02.27更新  03.02.24裕・編集
    関連頁:さくぎ郷土芸能伝承館

伊賀和志神楽団    演目:八岐大蛇

03.02.23撮影
酒槽を用意させた場面

03.02.23撮影
大蛇が酒を飲んで浮かれている場面

03.02.23撮影
素戔嗚尊が大蛇を退治している場面
(広島無形民俗文化財) 鈴合わせ 別称:八寄(やよせ)
烏帽子・狩衣・袴姿の四人の舞人と四人の楽人によって演じられる八つの舞からなる。           
「一の舞」 剣と鈴を持って優雅に舞う
「二の舞」 跳躍が加わる
「三の舞」 「静の長唄」といい休止が多く、物静かである
「四の舞」 「めごし」という
「五の舞」 「かけりしず」といい、前後に跳び、あるいは円形に歩き返歌をつける
「六の舞」 「四季の舞」という
「七の舞」 「くみ杖の舞」といい、杖を両手に持って、上を跳んだり、下をくぐったり曲芸的要素をみせる
「八の舞」 「八花の舞」といい、一段と速い調子となる。持物を剣と鈴に戻しておわる
※残念な事にわたしは、観賞したことがありません。  
いわみのくに
石見国
 島根県の西半部にあたる旧国名。
日本海と中国山地に挟まれた狭長な地形。大化改新後に5郡が置かれた。1193(建久4)佐々木定綱(さだつな)が守護に任じられたが、以後の鎌倉期守護は明らかでない。1364(貞治3)大内氏が守護となる。戦国時代は石見銀山をめぐって諸豪の争奪戦が繰り広げられた。江戸時代は幕府直轄の銀山領、浜田藩、津和野藩に三分された。1871(明治4)石見一円が浜田県となり、1876年島根県に編入された。
さくぎ そん
作木村
 広島県北部中国地方のほぼ中程に位置する、双三(ふたみ)郡の村。人口2014(H12)。
1889(明治22)年町村制施行により、作木村が誕生、中国山地を北に流れる江の川(ごうのかわ)右岸にあり、江の川に沿ってJR三江(さんこう)線、国道375号が走る。かつては江の川の水運でにぎわい、大津湊(おおつみなと)などの地名も残る。農林業が主産業で、シイタケ、蔬菜(そさい)の栽培、小規模な酪農などが行われる。
※2004年4月1日に三次市と双三郡の全町村が対等合併して改めて三次市が設置されたことに伴い消滅しました。



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