「記憶」を刻んで歩む石

  中区幟町の世界平和記念聖堂前庭に置かれている「記憶を刻んで歩む石」です。
この「記憶を刻んで歩む石」の説明板には、わざわざ『この碑石は(世界平和記念聖堂での)拝礼の対象ではありません。
碑石に込めた「対話と和解」の精神がヒロシマから世界へと広がり、争いのない地球に進化していくことを願い、深い祈りを込めて(いるものです)。』とあります。
平和を祈念するものとして(わたしは)取り上げています。
「記憶」を刻んで歩む石     2005(平成17)年8月4日  ストーンウォーク・ヒロシマ
  「戦争で犠牲になった無名の市民」と刻まれたこの碑石は、「被爆60周年」「アジア・太平洋戦争終結60周年」の2005(平成17)年夏、長崎―広島の二つの被爆地を結んで、アメリカと日本の市民の協力によって運ばれたものです。延べ1500人の多国籍のボランティアが、長崎・広島の原爆犠牲者をはじめ、戦争で犠牲になったたくさんの市民を追悼し、「暴力と報復」の連鎖を断ち切り、「対話と和解」の精神で平和な世界を創造しようと訴えながら600キロ歩んできました。
この碑石は、アメリカの超宗派の市民団体ピース・アビー(平和のための修道の家)によって、民族紛争に揺れ続けた北アイルランドで和解を呼びかけ、さらに「9.11テロ」の哀しみを癒すためにニューヨークを旅してきた石です。一緒に運び、碑面に触れた多くの人々の思いが込められたこの碑石は、その精神において、被爆者の追悼と世界平和を願って献堂された世界平和記念聖堂の心と相通じるところがあると信じ、教会各位のご理解のもとここに設置させていただきました。
なお、(この)碑石は拝礼の対象ではありません。碑石にこめた「対話と和解」の精神がヒロシマから世界へと広がり、争いのない地球に進化していくことを願い、深い祈りを込めて。
2005年長崎から広島に向けて、だし(山車)に乗せられ運ばれているこの碑石をニュースや新聞報道で知っていましたが、その碑石が、ここ世界平和記念聖堂の前庭の一角に設置されたことは知らなかったのです。
2009年になりましたが、(通称)平和記念式典が終わり帰宅する時、立寄った世界平和記念聖堂の前庭でヨハネパウロ二世胸像をみようとした時に、その根際に設置されていたことを知り撮影しました。
2015年久しぶりに訪ね拝見しました。
15.06.07.更新    10.11.30裕・記編集

09.08.06撮影
広島市中区幟町4‐42 世界平和記念聖堂 

09.08.06撮影
UNKNOWN CIVILIANS KILLED IN WAR  (≒戦争で犠牲となった無名の非戦闘員)
unknown a. 知られていない; 未知の ((to)); 不明の。  n. 未知の人[物]; 【数】未知数.
civilian n. (軍人聖職者に対して)一般人, 文官; 軍属, 非戦闘員。 a. 一般人[民間]の; 文官の
kill v. 殺す; 枯らす, 枯れる; ((受身で)) (事故などで)死ぬ。n. 殺すこと
war n. 戦争 ((against, on)); 交戦期間[状態]; 軍事, 戦術; 争い, 闘争。vi. 戦争する, 戦[闘]う

10.11.11撮影

09.08.06撮影
(後ろ=教会側から見た)碑石 と ヨハネパウロ二世胸像

15.06.04.影
 「ヨハネパウロ二世胸像」 と 「記憶を刻んで歩む石」



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



広島ぶらり散歩へ
被爆した天主公教會・門柱
ヨハネ・パウロ2世胸像
「記憶」を刻んで歩む石
ヒロシマの聖母・平和の元后


世界平和記念聖堂(概説)


inserted by FC2 system