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中区幟町の世界平和記念聖堂にいまも遺されている被爆当時・幟町天主教会の「被爆した門柱」です。
※2004年(わたしは、はじめて)みた門柱でしたが、
2015年(被爆70年)訪ねた時に(再び移設され)広島カトリック会館玄関の処に建っていました。 |
左側門柱: |
「カトリック教會」 (裏側:文字なし) |
右側門柱: |
「天主公教會」 (裏側:文字なし |
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被爆当時の天主公教会の門柱が(被爆当時の位置から)移設され、遺されています。
爆心地から≒1,230m (被爆当時町名も幟町)
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1945(昭和20)年8月6日ラサール神父(被爆時47歳:帰化名・愛宮眞備)、W.クラインゾルゲ神父(39歳:帰化名・高倉誠)、H.チースリク神父(31歳)、H.シッファー神父(30歳)、竹元神学生などが被爆され、全員奇跡的に助かり、秘書の深井さんを除き(避難場所に指定されていた近くの)縮景園に一時避難したそうです。 |
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資料をみて、被爆した門柱がいまも遺されていることを知り(2004年)撮影に行きました。
2010年世界平和記念聖堂を再編集していますので、この被爆した門柱の周りの状況が分かるように撮影に行ったのです。
みた時、以前と違うように思い移設されたのかなと思ったのです。近づいてみると右側(門柱西側)にあった建物・ラサール会館が解体されたことで、以前と違ったように感じた事が分かりました。 |
2015年(被爆70年)訪ねてこの被爆した門柱を見に行ったのです、しかし以前あった処には無かったのです。
そこでカトリック会館の事務室で「被爆した門柱は撤去されたのですか?」と尋ねたのです。この会館玄関前に移設していますと教えていただきましたので、撮影できました。
2016年のいまになりましたが、この頁を更新しました。 |
16.10.28.更新 10.11.25再編集 04.05.21裕・記編集 |