世界平和記念聖堂せかいへいわきねんせいどう(概説)

  中区幟町に建てられている「世界平和記念聖堂」です。
※世界平和記念聖堂は“カトリック幟町教会”の聖堂です。
広島カトリック幟町教会※1は、爆心から≒1,230mで被爆し焼失しました。(被爆した門柱が遺されています)
当時、主任司祭として(被爆した)独人のフーゴー・ラッサール(ラサール)神父※2らの熱意によってローマ法王(ピオ12世)※3をはじめ世界中の人々の協力を得て教会は再建されました。
建設された世界平和記念聖堂は、コンクリート打放しの柱と梁、壁は原爆で焼けた土が使われた灰色の煉瓦※4できています。
      (広島幟町)天主公教會の変遷       世界平和記念聖堂の概要
1882(明治15)年幟町でプチジャン司教・オリエンチス神父で布教開始
1885(明治18)年山口町28番地(現在の銀山町電停南北附近)へ移転
1888(明治21)年教会内に小学校を開校
1889(明治22)年研屋町(現在の紙屋町一丁目附近)へ移転
1902(明治35)年幟町148番地の現在地に落着く
1945(昭和20)年8月6日原爆により焼失
様式: 三廊式バシリカ会堂※7
竣工: 1954(昭和29)年8月6日
三度補修工事が行われています※8
設計: 村野藤吾(構造:内藤多仲)※5
構造: 鉄筋コンクリート造、3階+地下1階
塔高45m(十字含56.4m)
わたしは、クリスチャンではありません(昔々バブテスト系の高校には行ったのですが)、このカトリック幟町教会を、以前訪れた事はありましたが、(2003年3月)現在イラクを巡る戦争の即時停戦を願ってこの教会を訪ねてみようと思ったのです。
それは、ローマ法王・ヨハネ・パウロ2世が広島の地で世界に向けて出した平和アピールの一部を思い出したからです。
『戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。・・・』という言葉で、読み返し、
『・・・平和へ向けての険しく困難な小径を歩み始めようではありませんか。
人間の尊厳にとってふさわしい唯一の小径、人間として為すべきことを本当に完遂させてくれる唯一の小径、平等と正義と連帯とが、単に遠くにある夢としてではなく、現実に行われるようになる未来へ向けての唯一の小径を歩み始めましょう。・・・・』
という言葉もありました。
2006年4月21日ラジオで「世界平和記念聖堂が国の重要文化財に指定されることが決まった」と云っていました。
戦後の建築としては初の指定となるそうです。2006(平成18)年7月5日国の重要文化財に(正式に)指定されました。
(通称)広島原爆資料館も同時に国の重要文化財に指定されました。
2003年この頁を編集して以来世界平和記念聖堂を訪れるたびに新しい事を知りそのことに関する頁を追加して来ましたが、付け足し付け足しでみにくい頁になっていましたので、2010年項目一覧画像を下段に付け再編集しました。
2016年10月25日中國新聞をみていてこの世界平和記念聖堂の耐震工事が始まることを知りました。
『2016年11月から耐震工事に入り、2019年3月までの約2年半で、工期中内部の一般観覧が制限されます。
管理するカトリック広島司教区によると、敷地の土壌に軟弱な部分があり、液状化に備える必要がある。震度6強を想定した耐震調査を2013年・2014年に行い、“平和の鐘”を吊った高さ45mの鐘塔が東西方向の揺れに弱いことが分かった。 このため、鐘塔の基礎部分の四隅に、支持杭(長さ≒25m)を固い地層まで打ち込む。
聖堂本体の玄関の鉄骨補強、壁面の亀裂の補修、屋根の銅板葺替えなども予定している。
総工費は、約10億円。国などの補助金や、継続して積み立てている寄付金でまかなう予定。』というような記事でしたので追記しました。
2019年9月耐震工事(保存修理工事が完了したそうです。
22.12.08.更新  10.11.22再編集  03.03.28裕・記編集
関連碑:ローマ法王平和アピール碑  YMCA原爆瓦記念柱碑

04.03.29撮影
広島市中区幟町4‐42 世界平和記念聖堂を西よりみました(手前は幟町小学校校庭)

04.12.11撮影
「こころを一つに平和を宣べ伝えよう 」
(この横幕をみた時)「自衛隊が活動しているから非戦闘地域だ」といいはなつわが国総理大臣にローマ法王が諭されているのではとわたしは思いました。
イラクの戦火が収まらない2005(平成17)年4月2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)に、ヨハネパウロ2世は死去されました。
陸上自衛隊の2年半に及んだイラク派遣(第10次人道復興支援隊全員)が2006(平成18)年7月25日無事帰国。ただし、航空自衛隊は引き続き任務についています。
2008(平成20)年12月になって航空自衛隊のイラク復興支援派遣活動が終了しました、そして2009年2月14日までに撤収部隊全員が帰国。
イラク復興特別措置法に基づいて5年間続いた日本によるイラク派遣はすべて終了しました。 
09.02.28追記

10.11.11撮影
(神社にある鳥居にヒントを得た?)ゲート(門)をくぐり聖堂の方へと入ります

09.0806撮影

03.07.28撮影

06.05.13撮影

04.05.12撮影
説明板 (世界平和記念聖堂)外観 被爆した天主公教會・門柱
10.11.23.編集 22.12.08.更新 16.10.28.更新

05.05.11撮影

10.11.11撮影

09.0806撮影

09.0806撮影
ヨハネ・パウロ2世胸像 ヨハネ・パウロ2世巡礼記念写真 ヒロシマの聖母・平和の元后 「記憶」を刻んで歩む石
10.11.28.編集 10.11.28.編集 10.12.01.編集 15.06.07.更新

03.07.28撮影

03.05.23撮影

03.05.23撮影

03.05.23撮影
聖堂記 七つの秘蹟・彫刻 鳳凰(フェニックス)の像 正面扉
10.11.24.再編集 07.05.18 更新 10.11.26.再編集 10.11.26.再編集

10.11.11撮影

10.11.11撮影

05.05.11撮影

10.11.11撮影
聖堂内部・正面 聖堂内部・入口側 ステンドグラス ラサール神父レリーフ
10.11.22.再編集 10.11.22.再編集 10.11.23再編集 10.11.23再編集

10.11.11撮影

05.05.11撮影

05.05.11撮影

05.05.11撮影
聖母マリア像 マンホール蓋「信・望・愛」 地下聖堂 (塔内部の通称)平和の鐘
10.11.29.編集 10.11.22.再編集 10.11.27再編集 10.11.27再編集
2017年撮影(耐震工事がはじまっていました)

17.05.25.撮影
耐震工事がはじまっている世界平和記念聖堂
   関連頁:(世界平和記念聖堂)耐震工事(保存修理工事)
2021年撮影(2019年9月に耐震工事が完了)

21.12.22.撮影
耐震工事が終わってから撮影してなかったので撮影しました
*撮影が、クリスマスシーズンでしたのでゲートに“リース”が飾ってありました。



「広島の神社寺院」編


「建物」編



広島ぶらり散歩へ
世界平和記念聖堂(概説)
被爆した天主公教會・門柱
ヨハネ・パウロ2世胸像
「記憶」を刻んで歩む石
ヒロシマの聖母・平和の元后
(世界平和記念聖堂・外部)
  外観
  聖堂記、定礎石
  七つの秘蹟・彫刻
    (裏側から見る)七つの秘蹟・彫刻
  鳳凰(フェニックス)の像
  聖堂正面扉
(世界平和記念聖堂・内部)
  聖堂正面
  聖堂入口側
  ステンドグラス
  ラサール神父レリーフ
  聖母マリア像
  マンホール蓋の「信・望・愛」
地下聖堂
(塔の)鐘、十字架
(教会関連)語句の解説


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