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中区基町の広島市子ども文化科学館前に建立されている「(鈴木)三重吉記念碑」です。
※碑の彫刻は圓鍔勝三作「夢に乗る」です。 |
正面: |
三重吉記念碑 |
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裏面: |
鈴木三重吉先生は、明治十五年広島市猿楽町に生まれました。
雑誌赤い鳥を出して日本のこどもに夢と希望を与えることに一生をささげました。
昭和三十年五月五日 鈴木三重吉顕彰会(建立) |
*昭和30年=1955年 |
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鈴木三重吉 (すずき みえきち:1882-1936) |
小説家、児童文学者。1882(明治15)年広島市猿楽町83番地の1(現・広島市中区大手町2-1-13)に生れ。本川小学校、広島一中、第三高等学校を経て東京帝國大學文科大学英文学科に在学中の1905(明治38)年病気療養のため能美島を訪れ、そこでの体験をもとに短編小説「千鳥」を書き上げた。「千鳥」は夏目漱石(1864-1916)から絶賛された。以後、山県郡加計町を舞台とした「山彦」などを発表し、漱石門下生として活躍を続けたが、1915(大正4)年にいったん筆を折ってしまう。
小説家としての行き詰まりを自覚した三重吉は、児童文学に自らの進むべき道を見いだし、1918(大正7)年には森鴎外(1862-1922)らの賛同を得て、児童雑誌「赤い鳥」を創刊。芸術的に価値のある童謡・童話を子どもたちに提供しようという画期的な運動をスタートさせた。
三重吉はもちろん、芥川龍之介(1892-1927)や有島武郎(1878-1923)、北原白秋(1885-1942)らが傑作を次々と発表。わが国の児童文学は新しい時代を迎えることになる。「赤い鳥」には児童の投稿欄も設けられ、特につづり方、児童詩の教育活動に大きな影響を与えた。 |
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2004年この頁を編集した時は、“圓鍔勝三作:夢に乗る”という彫刻作品に焦点を当てて編集していましたが、この碑は「(鈴木)三重吉記念碑」として鈴木三重吉顕彰会が児童文学者という見地から(建立の昭和30年当時呼称)基町児童公園内に子どもの日の5月5日に建立したのですから文学碑という観点を疎かにしていたことをお許し願っておきます。 |
わたしが、圓鍔勝三作品「夢に乗る」をはじめてみたのがこの中区基町(広島市子ども文化科学館前)設置の作品でした。頁にしていくうちに御調町(圓鍔記念公園)に同名の作品があることを知ったのです。
しかしこの同名の作品は熱帯魚にのったこどもが違っていたのです、ラッパを吹く少年と鳩?を抱えた少女が、広島市の「夢に乗る」は鈴木三重吉記念碑となっています。 |
今(2013)年になりましたが、現在の碑の周りの状況がわかるようにも撮影し、三重吉の略歴も記述し、画像を追加し、再編集しました。 |
13.06.21.再編集 04.08.15裕・編集 |