いわさわ ただやす
圓鍔勝三作品: 岩沢忠恭之像
  西区大芝の太田川河川事務所大芝出張所前広場に建立されている圓鍔勝三作「岩沢忠恭之像」です。
太田川のたび重なる氾濫によって関係住民の受けた苦難の歴史の示すとおりであります。
参議院議員、岩沢忠恭先生はつとにこの川の改修に着目し百十億円の国費と三十数年の歳月とを費してこの大事業を完成せしめ広島市民並びに関係住民を水害から救われた恩人であります。今や太田川は静かに平和都市ヒロシマを貫流して瀬戸内海にそそぎ更に七つの海に通じています。
広島市民を代表して広島市長:浜井信三   昭和四十(1965)年四月
岩沢忠恭の名前だけは聞いたことがあったのですが、国会議員(参議院)だったことくらいで、詳しくは知りませんでしたので、土木人物事典で岩沢忠恭のこと少し調べ広島ゆかりの人に掲載しました。
大芝橋を撮影に行ったとき西詰南側でみた胸像どこか「松田重次郎翁像」のお顔や眉毛のところが似ているかな〜と、人物としてどことなく似た方だったのかもしれませんが、作品の作風も何処となく圓鍔作かなと感じ、裏に回ってみた刻まれた圓鍔勝三のサインで圓鍔作品とわかりこの頁を編集しました。
この胸像が置かれている状況がわかる画像をと思って2007年に撮影していましたが、編集していませんでした。
2011年になりましたが、この胸像建設委員会代表者の藤田定市のことも調べ追記しました。
11.07.29更新    05.01.01裕・記編集

07.10.17撮影
広島市西区大芝3-1-1   (国土交通省中国地方整備局 太田川河川事務所大芝出張所前広場)

04.12.21撮影

04.12.21撮影

04.12.21撮影
岩沢忠恭先生之像 圓鍔勝三作  昭和四拾年春

04.12.21撮影
藤田定市(ふじたさだいち:1889−1973)
明治-昭和時代の実業家。広島県出身。
1910(明治43)年広島市に兄の藤田一郎(1886−1949)と土建業藤田組(現フジタ)を創業。1944(昭和19)年社長。1962(昭和37)年会長。広島商工会議所会頭、中国放送会長などを歴任。社会事業にも力をつくした。
*藤田正明(1922-1996)参議院議員は定市の息子
       (株)フジタ(総合建設業)
1942(昭和17)年社名を株式会社藤田組に改称
1945(昭和20)年空襲で本社焼失、広島支店原爆被災
1948(昭和23)年本社を東京中央区に移転しました。
敬称は略しました



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大芝橋
大芝水門、祇園水門
圓鍔勝三作:岩沢忠恭像
(太田川改修60 周年)記念植樹・碑
(太田川放流警報設備)牛田電光表示板


「野外彫刻など」編


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