(中山稲生神社の埋戻された)盃状穴
  東区中山東の中山稲生神社の手水鉢にある「(埋戻された)盃状穴」です。
盃状穴石は、古墳時代(西暦250年〜550年頃)石棺の蓋石に使用された遺物と推定されていますが、現在、盃状穴は謎が多く学会では解明されていないそうで、定説はないようです。
近世では、子孫繁栄と五穀豊穣を願ったという説や陰陽の陰との説などが考えられるのではないのでしょうか。
ここ数年、JR芸備線に広島駅から戸坂駅まで乗車し、窓外を眺めているとこの神社に行く石段が目に入り、地図をみると稲生神社だったのです。なかなか機会はありませんでしたが、2012年になって訪ねました。
まず、社殿前で参拝しようと思い、ここ中山稲生神社は手水舎が整備されていましたので、(わたしの)身についた穢れを潅いで参拝をと思い、手水舎に行きました。
現代では神主が常駐の神社というものが少なくなってきているようで、手水鉢の管理もままならぬ神社を散見してきていた(わたしでした)が、ここ中山稲生神社は、ひしゃく受けの青竹がまだまだ切られた時の状態だな〜〜と近づきました。水も清潔な状態でしたが、(わたしは)その青竹の下のモルタルに目がいきました。
そうなのです、おそらくこの手水鉢は古く、信仰の対象として縁のそこここに盃状穴があったのでしょう。
その穴に溜まった水が不潔になったりすることから、(現代人が参拝する時に不快感を持つかもしれないと先回りした考えからか?)モルタルで埋められたのだろうとわたしは思いましたが、盃状穴をみてきているわたしには、その配慮は、先人の信仰のあかしを消そうとしているようで残念に思いながら撮影しました。
 12.07.31裕・記編集

12.03.22撮影
広島市東区中山東1-7-30  中山稲生神社

12.03.22撮影

12.03.22撮影

12.03.22撮影

12.03.22撮影



「盃状穴」編



広島ぶらり散歩
(中山)稲生神社
  中山村東組り同改修記念石柱
  大正天皇即位記念鳥居
  埋め戻された盃状穴がある手水鉢
  高所からみる中山地区、温品地区


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