(饒津神社)恵比須天
  東区二葉の里の饒津神社に祀られている二葉山山麓七福神の中の「恵比須天」です。
※この恵比須天は、被爆した手水鉢の近くに遷座されています。
恵比須天   商売繁盛の神
げし うおたからと きしめて 笑う恵比須の 神の御威徳ごいとく
恵比寿天は、鯛と釣竿を持った姿で、もともとは漁業の神で商売繁盛の神さまとして広く信仰されています。
不景気の時はそれを吹き飛ばし、好況の時はそれを持続発展させ、私達に福徳円満をくまなく与えて下さいます。
えびす
恵比須
恵比寿
胡子
七福神の一神。
商売繁盛や豊漁・豊作をもたらす福徳の神。烏帽子(えぼし)をかぶり,釣り竿をもち、鯛をかかえた姿であらわされる。
兵庫県の西宮神社では,蛭児(ひるこ)または事代主命(ことしろぬしのみこと)と習合して信仰される。恵比寿、戎、蛭子ともかく。
ことしろぬしの
       かみ

事代主神
記・紀にみえる神。
「古事記」によれば、国譲りを要求する高天原からの使者に対し、父の大国主神(おおくにぬしのかみ)にかわって国譲りの誓約をした。神のお告げ(託宣:たくせん)をのべる役割をもつとされる。八重事代主(やえことしろぬし)神とも云う。
境内の奥に進み社殿前に来ます。その社殿根際左手に恵比須様は鎮座されてます。
もっぱら七福神巡りでお参りされたとしても、拝殿(または、拝殿前)で参拝されそして恵比須様へとの道順が考えられている位置に鎮座されています。
饒津神社は、浅野長政(1547−1611)の位牌堂が1706(宝永3)年建立された事にはじまる神社と伝えられています、1945(昭和20)年8月6日原爆で社殿等は焼失しましたが、浅野家に繋がる、石碑、石燈籠などが残っていますので、説明板を読みながら境内を散策されてもと(わたしは)思っていますが。
2018年復活した手水舎(修復された被爆手水鉢)を撮影した時、ここで取り上げている恵比須天が、根際に移されていることがわかり撮影したのです。
2019年のいまになりましたが、この頁を更新しました。
19.11.04.更新    11.03.07.裕・記編集
(当初の遷座地)

11.01.25撮影
広島市東区二葉の里2‐6‐34 饒津神社

11.01.25撮影

11.01.25撮影

11.01.25撮影
(遷座後の地)

18.08.26.撮影
木原桑宅翁之碑      と      恵比須天

18.08.26.撮影

18.08.26.撮影
復活した手水舎   と   恵比須天



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