(饒津神社)被爆した手水鉢

  東区二葉の里の饒津神社に残されている「被爆した手水鉢」を取り上げました。
※2017年手水鉢の防水工事が施され、手水舎が移設され、参拝者が利用できる手水鉢になりました。
  (戦後再建された手水舎は、階段を上った唐門根際に設置されていました。その手水舎が移設されました。)
文化八(1811)年辛未四月七日奉獻の手水石  原爆によって欠け落ち亀裂が入った手水鉢です。
縦:121cm、横;212cm、高さ:93cm。 花崗岩製 (中國新聞の記事で知りましたので追記)
資料によると、標柱・手水鉢・灯篭や敷石などが被爆した構築物として紹介があります。
爆心地から1,680m 〜1,850m   被爆当時の町名も二葉の里
手水石に奉献された日付が刻まれていましたので撮影し、追加しました。
2017年1月12日朝、中國新聞の「被爆ちょうず鉢を補修」という記事に目が留まりました。
『浅野家入城400年記念事業の一つとして被爆の傷跡を残しつつ漏水防止工事を1月11日から1月15日まで愛知県の石材業者に依頼した。手水鉢の補修後木造屋根を造り、参拝者に利用してもらう予定。』などという記事でした

1月12日横の道路を通った時(午後でした)車の中から作業している人がみえましたので、記事にある漏水防止工事をしているのだな〜と思いました。撮影してはいませんが、追記しました。
(まだ、この時は手水舎はありませんでした、)
手水舎が、移設され、この被爆した手水鉢が活かされ、参拝者の利用することができるようになりました。
2018年撮影しましたので、「被爆の痕跡と饒津神社復興記念・碑」の頁から手水鉢を取り出し、復活した手水舎の画像を加えこの頁を再編集しました。
19.11.03.再編集     06.06.19裕・記編集

09.11.19.撮影
   広島市東区二葉の里2‐6‐34 饒津神社境内
原爆被災説明板、被爆した手水石、(戦後復興)向唐門

06.01.21.撮影

09.11.19.撮影

09.11.19.撮影
(原爆の惨禍の跡がそこここにみえます)

09.11.19.撮影
原爆被災説明板        被爆した手水鉢 
(被爆した手水鉢の処に移設された手水舎)

16.06.19.撮影
(上の段の唐門根際で2017年7月移設される前まで使用されていた)手水舎これが移設されました

18.08.26.撮影
原爆被災説明板    復活した手水舎 

18.08.26.撮影
(原爆でクラックが入り水漏れしていた手水鉢が補修され水を溜めています) 

18.08.26.撮影

18.08.26.撮影
手水舎復活に関わる報道資料が貼りだされています 



被爆した建物・構築物」編


「牛田・二葉の里附近」編



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饒津神社(概説)
饒津神社・原爆被災説明板
(枯死した)被爆樹木・松
(境内に残る)原爆の傷跡復興記念碑
被爆した)手水鉢〔復活した手水舎〕
(再建された)向唐門
(再建された)両部大鳥居
(境内社)稲荷大明神
(境内建立の)浅野長勲公頌徳碑
(境内建立の)石水盤石燈籠銘・碑
(被爆した)御陣中御手水鉢
(境内建立の)坂井虎山先生之碑
(境内建立の)河野小石先生碑
(境内建立の)木原桑宅翁之碑
(境内建立の)北清事変忠死者紀念之碑
(境内建立の)臨時陸軍検疫部職員死者追悼之碑
(被爆した)標縄柱
(境内建立の)標縄柱銘并序・碑
(境内の)石垣について
(境内建立の)広島県職工学校開校の地・碑
(境内建立の)平成の御大典奉祝記念樹・碑
広島市保存樹73:クスノキ
広島市保存樹74:エノキ・ケヤキ
番外)饒津神社の絵馬
二葉山山麓七福神恵比須天


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