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東区二葉の里の饒津神社に広島市によって建立されている「饒津神社・原爆被災説明板」です。
*この原爆被災説明板前の‘被爆した手水鉢’が補修され、手水舎が復活しました。 |
饒津神社・原爆被災説明板 爆心地から約1800m |
原爆の炸裂により強烈な爆風のため、本殿や唐門などの建物が一瞬にして破壊されました。その直後本殿から出火し 他の建物も次々と延焼していきました。爆風により境内の樹木は吹き倒され参道の石灯籠も倒されました。
境内には燃え盛る市内から大勢の人々が避難してきて臨時の救護所が設けられました。 |
写真説明:建物すべて焼け落ちた饒津神社 |
1945(昭和20)年8月20日 尾木正巳氏撮影 |
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饒津神社の境内は(戦前はもっと)広く、爆心地からの距離は1680m〜1850mといわれています。
原爆被災説明板(の写真部分)は1,800mと記述してあります。 被爆当時町名も二葉の里。 |
,おじさんの原爆記(No4、N05)にもありますが常盤橋(常葉橋)東西両端は大火災につつまれていたそうで、おじさんもこの饒津神社の火災を目撃しています。
松並木が焼失し石燈籠が倒壊してる饒津神社だったのですが、被災者が市内方面から続々と避難してきたと、現在は饒津神社横(京橋川沿い)の道路は拡幅され駅から牛田方面へのメイン道路となっていますが、被爆当時は狭い道路でしたが、歩ける人たちは牛田方面などに避難して行ったと聞きます。 |
いままで、原爆被災説明板を撮影しただけでしたが、設置されている周りが分かりませんでしたので、2009年撮影し追加しました。近くに被爆の影響でクラックが入った手水石が遺されています。
2016年撮影画像を加えこの頁を再編集しました。 |
19.11.03.更新 19.02.24再編集 03.06.10裕・記編集 |