(広島護国神社)ノモンハン事変15周年記念・植樹碑

  中区基町の広島護国神社に植樹されている「ノモンハン事変15周年記念・植樹碑」をここで取り上げました。
※「ノモンハン事変十五周年記念」としてイチョウの木と碑です。
*鉄製の碑は錆が出てきていますので、長くは持たないように思いますが、
  記念植樹のイチョウは長く生きてくのではと(わたしは)思っています。
広島護国神社境内北側に、吉田正浪作「英霊にささぐ」像、「原爆被災 再建記念碑」、「寶祚無窮矣」碑、「天皇陛下皇后陛下御親拝記念碑」が建立されています。その北のり面に建立の「ノモンハン事変十五周年記念」にイチョウの木と碑を取り上げました。
表面: ノモンハン事変十五周年記念
側面: 昭和二十九年十五月十日   昭和29年=1954年
側面: 靖国神社 神木苗木
裏面: 輜重兵第二十三連隊  広島ノモンハン会
ノモンハン事件: 昭和14(1939)年5月〜9月にノモンハンで起こった軍事衝突事件。
満州国とモンゴル人民共和国の国境で勃発した両国警備隊の交戦をきっかけに、満州国を支配していた日本と、モンゴルと相互援助協定を結んでいたソ連がそれぞれ軍を投入。大規模な戦闘に発展した。
日本の関東軍は大本営の方針に反し独断でソ連領内へ戦線を拡大したが、ソ連の充実した機甲部隊によって壊滅的な打撃を受けた。さらに、日本と同盟関係にあったドイツがソ連との間で独ソ不可侵条約を締結し、ソ連の兵力増強が可能となったため、大本営は作戦中止を決め、9月16日にモスクワで停戦協定が結ばれた。
ロシアではハルハ河事件、モンゴルではハルハ河戦争と呼ばれるそうです。
(しちょう)
輜重:
軍隊の糧食・被服・武器・弾薬など、輸送すべき軍需品の総称
ノモンハン事件、聞いた事はあったのですがどういう事件だったかは、2003年広島城堀・北側緑地帯でノモンハン事件参加部隊跡碑を撮影し、頁を編集する時に知りました。
その後、比治山陸軍墓地でノモンハン事件戦歿者慰霊碑などを見てきました。
ここ護国神社でも植樹碑を見たなと思い2011年撮影しました。
日本の戦後教育では、日中戦争関連についてはざっとというかさらっと高校時代世界史で教えることになっているようですが、一方中国は帝国主義時代とはいえ侵略してきた日本を子どものころから徹底的に教えているギャップからでしょう、戦後67年経とうとも日中間に問題が起きると、中国国内各地で激高した反日デモが起るようです(そのようなニュースを見聞きしているこんにちを)、軍部が暴走した時代を考え、せめて現代の日本(国民)は冷静に事態を把握し行動できる国でなくてはならないのだろうと、このノモンハン植樹碑とは直接関連しませんがそのようなことを思いながらこの頁を編集しました。
 12.09.17.裕・記編集

11.12.05撮影
広島市中区基町21-2 広島護国神社

11.12.05撮影

11.12.05撮影

11.12.05撮影

11.12.05撮影

11.12.05撮影



軍都・廣島関連施設戦跡など」編



広島ぶらり散歩へ
廣島護國神社(概説)
  広島護国神社(拡大版)
被爆し現存する鳥居
被爆倒壊した鳥居脚部
  (被爆した)鳥居(拡大)、名版石
吉田正浪作:英霊にささぐ・像
丸山幸一作:双鯉の像・昇鯉の像
寶祚無窮矣・碑
ノモンハン事変15周年記念・植樹碑
(番外)廣島護國神社の絵馬
        ノモンハン事件関連碑
(基町)(ノモンハン事件)部隊跡記念樹・碑
(比治山陸軍墓地)ノモンハン事件戦歿者慰霊碑
(広島護国神社)ノモンハン事変15周年記念・植樹碑
(備後護国神社)福山地区ノモンハン戦没者慰霊碑


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