こくぜんじ
國前寺
  東区山根町に創建されている「白昌山龍華樹院・国前寺」です。
国前寺は、日蓮宗のお寺で、本尊は三宝四菩薩です。
「國前寺縁起」によると、暦応3(1340)年に安芸国を訪れた日蓮(1222-1282)の弟子日像(1269-1342)が、尾長山の麓で草庵を営んでいた僧暁忍に出会い、この時暁忍が日像に師事し、寺(暁忍寺)を開いたのが始まりといわれています。
その後、明暦2(1656)年に広島藩の二代藩主・浅野光晟(1617-1693)とその妻・満姫(=自昌院)の菩提寺となり、寺名を自昌山國前寺と改称しました。これを契機に本堂{ 寛文11(1671)年建立}、庫裏などの諸堂の造営が行われ、寺観が整えられました。
平成5(1993)年に(被爆建造物)本堂と庫裏が国の重要文化財に、平成7(1995)年に山門と境内地が広島市の重要有形文化財に指定されました。
原爆により瓦がずれ北東側にねじれるように傾いたそうです。
爆心地より≒2,600m   被爆当時町名は尾長町
寺名は、浅野藩菩提寺国泰寺の『國』、満姫生家前田氏の『前』を取ったものだそうです。
国前寺は三次市に伝わる化物語の主人公、妖怪退治で有名な稲生武太夫(いのうぶだゆう)が妖怪の大将からもらったばけもの木槌が伝わっていますが、撮影禁止で画像はありませんが稲生祭の頁を編集しました。
本堂修理工事が終わり(2007年)稲生祭に行った時、本堂に入ろうとして見上げた時に「龍華樹院」と院号額が掲げてあり、このお寺の院号がわかったのです。
説明板が設置されていましたので、いままで知新集をみていなかったのです。
白昌山龍華樹院國前寺安藝郡廣島新開尾長村にあり法華宗一本寺にてと知新集にありました。
2003年訪ねた時、本堂は解体修理中でしたので、山門を中心にしたこの頁を編集しました。
2006年1月交流ウォークで訪ねたときは工事用の足場が解体され外部工事がほぼ終わり内部の工事が進んでいました。その時撮影の画像を加えて頁を更新しました。
23.01.27.更新    04.04.02裕・記編集

03.08.29.撮影
広島市東区山根町32-1
山門は天保11(1840)年に建築された(棟札によりわかるそうです)

03.08.29.撮影

03.08.29.撮影

03.08.29.撮影

03.08.29.撮影
吽形仁王像 阿形仁王像

05.06.07.撮影
鐘楼は明治39(1906)年再建されたものです。
(本堂は解体修理中で竣工2006年6月予定だそうです)

06.01.21.撮影
山門を本堂側よりみました

06.01.21.撮影
外部の工事用足場が解体され養生シートが取り払われていました

12.01.09.撮影
2006年保存修理工事完了してからの2012年の稲生祭の段取りが施された本堂内部

22.01.20.撮影
2022年久しぶりに撮影した山門
  「久遠の聖域」詩碑

22.01.20.撮影































































































※久遠(とわ)
2003年国前寺をはじめて撮影した時に目に留まった詩碑でしたが、作者の“ゆみこ”さんのことがわからなかったので、取り上げなかったのです。
時を経て、2022年久しぶりに訪ねたときご住職の奥様かもしれないと思ったので取り上げました。

“ゆみこ”さんのことご存じの方、ご教授願えれば幸いです。追記したいと思っていますので。

22.01.20.撮影
本堂

22.01.20.撮影



「神社寺院など」編


「牛田・二葉の里附近」編



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國前寺
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