千田胡子神社

  中区千田町に鎮座している「千田胡子神社」です。
祭神: 事代主命(ことしろぬしのみこと:えびす神)
この神社は明治44(1911)年國奉寺村と称された時代出雲國美保神社より御分霊を勧請し御幸橋西詰に小祠を建て、五穀豊穣を願って奉祀した。その後幾多の変遷を経て大正11(1922)年松川孝一氏所有地の一部を借り受け事代主命を祭神として、氏子崇敬者により毎年11月20日を祭日とした。
昭和20(1945)年8月6日原子爆弾により社祠一切を焼失昭和22(1947)年4月仮小祠を建て奉祀。昭和25(1950)年6月境内を藤川長市氏(鋳物工場経営)により寄進。昭和35(1960)年2月宗教法人の認可を取得。昭和46(1971)年4月氏子崇敬者多数の寄進により社殿を新築、盛大に遷宮式を就り行いその落成を記念し、例祭を4月とした。
資料によると、被爆した構築物として標柱などと記載がありました。
  爆心地から≒1780m  被爆当時町名も千田町二丁目
資料をみていて被爆した標柱があることを知り訪ねました。社殿、鳥居などは戦後のもので、普通対の標柱のうちの1柱残ったのかなと思いました。
交流ウォークの米倉繁二さん(千田町在住)がこの神社のお世話をされているお一人であるという事から2009年6月交流ウォークの時に拝殿に上がることができましたので神社拝殿を撮影し追記しました。また絵馬コレクションしているわたしですので今(2009)年の絵馬をWEB SITEに掲載したいとお願いし、今年の絵馬をいただきました。
09.08.18更新  07.09.24裕・記編集

07.09.10.撮影
広島市中区千田町2-11-24

09.06.27.撮影

09.06.27.撮影
拝殿から本殿をみる
被爆した標柱しめばしら

07.09.10.撮影

07.09.10.撮影
福與仁合 と (コ因孝明)で対になっていたのでしょうが・・ 昭和11(1936)年11月吉日建之
福與仁合≒しあわせは、仁に励んで与えられる     徳因孝明≒徳は孝を実行して明らかになる
(ふく)
福:
さいわい。しあわせ。幸運。
(よ)
與(与の旧字):
与えること。また、その物。めぐみ。
(じん)
仁:
1)己に克ち、他に対するいたわりのある心。儒教における五常の一。
2)愛情を他におよぼすこと。いつくしみ。おもいやり。
(ごう)
合:
1)一つになる 2)集まる 3)であう 4)いっしょになる 5)応ずる



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