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中区紙屋町に建てられている「光照山・勝順寺」です。
※爆心地から320mで被爆した墓石もこの頁(下段)で取り上げています。 |
勝順寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集によると、
『開基由来は未詳、宝暦4(1754)年の大火に類焼し旧記什物など悉く無くしたそうです。
暦代:開基重誓。文禄2(1593)年3月14日寂とあります。宝暦の広島の大火から191年後原爆の惨禍に見舞われる』という歴史も刻んだお寺です。 |
資料をみていて被爆したものとして墓石の記載がありました。
爆心地から≒320m 被爆当時町名は研屋町 |
資料をみて、広島中心部の紙屋町にお寺があったかなと思ったのです。本通りと電車通りの間に位置していることから、わたしがあまり通ったことがないからでした。
墓苑を拝見していくと、(建立年代はなどと考えることもない)息をのみ込んだ痛々しい墓石が、そのようなお墓も墓苑の隅に追いやられることなく、お寺によって大切に扱われていることがわかり、目頭が熱くなりました。 |
18.03.2.更新 07.09.27裕・記編集 |
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07.05.30.撮影 |
広島市中区紙屋町1-4-16 |
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16.03.22.撮影 |
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16.03.22.撮影 |
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被爆した墓石 |
享保十一(1726)年(丙)午七月十一日
安永六年(1777)年(丁)酉三月廿五日
文化□年(18・・)年□六月十一日 |
明治廿四(1891)年十月十九日
明治十一(1878)年六月四日 |
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07.05.30.撮影 |
07.05.30.撮影 |
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