さいこうじ
西向寺

  中区大手町に建てられている「白神山天遊院・西向寺」です。
西向寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
「知新集」によると、慶長3(1598)年開基・一圓明賢法師(俗名:赤松、寛永12年75歳没)から三世龍玄の代までは東本願寺末寺でしたが、慶安5(1652)年西本山に属すことになりました。山号は当初は赤松山でしたが西方に属したときに白神山の号としました(白神細工町のお寺であったことからでしょう)。
資料をみていて被爆したものとして墓石の記載がありました。  
爆心地から≒70m  被爆当時町名は細工町
西向寺付近は、原爆の爆風がほぼ真上から到達したため墓石の多くは左右には移動しましたが、倒れたものは少なく、墓石(花崗岩)は通常の火災では見られない、花崗岩の剥離や火ぶくれを起こしていたそうです。
1949(昭和24)年お寺は再建されましたが、都市計画で境内は縮小されたそうで、2000(平成12)年8月に現在の5階建てのお寺に建替えられたそうです。
原爆ドームを撮影して本通りに行こうとするときこのお寺の前を通るのですが、被爆墓石が残されているとは思っていましたが、ずかずかと墓苑に入り撮影することは遠慮していました。2007年「被爆した構築物」の頁を充実したものにしようとしていることから、お参りされている方がおられないときに撮影させていただきました。
今(2014)年安芸区の隨泉寺を訪ねた時に高松和上の誕生地碑をみて、ここ西向寺にお墓が建立されていることを教えていただきましたので、日赤での定期健診の後訪ねました。
この機会に、この頁はお寺自体の頁とし、「被爆した墓石」などの頁と「高松和上のお墓(も被爆した墓石でしたが)」として別々の頁に再編集することにしました。
14.04.23.再編集   07.09.28裕・記編集

14.04.217.撮影
広島市中区大手町1-6-18

07.05.20.撮影

07.05.20.撮影

07.05.20.撮影

14.04.217.撮影

14.04.217.撮影
南側からみました



「神社寺院など」編



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